皆様、こんにちは!マスターズ、イシノラボをやっている平野です。
オーディオに携わって40年経ちました。海外のオーディオを、ソフト業界を、横目で見ながらオーディオメーカーの中から見た流れ、皆様に知られない面白いことなどを私の感触で書かせて頂きます。
読者の皆様の邪魔にならなければ、続きを書かせてもらおうと思っています。
題して“オーディオメーカーエンジニアの遍歴40年、その光と影!”
私は音楽好きなのは祖父、父母からの影響が強かったみたいです。そして、もっと良い音で聴きたいなどと思って、よせばよいのにオーディオ界に足を踏み入れていまいました。
1965年、卒業して、トランスのタムラ製作所に入社しました。当時のアンプは真空管主体で、真空管アンプの特性、音質のかぎを握るのはトランスでした。トランスのトップブランドはタムラ製作所、次がLUXで、そして山水。それに影響された、そんな単純な入社動機でした。入社してみて、トランスの参考書は当時からなく、社内資料と膨大な設計書が実際の設計業務では頼りでした。
タムラトランスのニーズはほとんど測定器とか産業機器向け、そして、防衛庁向けのトランス(これはジェット戦闘機に乗せる400Hzで動作する電源トランスとか、通信用トランス)で、米軍のものをみよう見真似で作っていました。オーディオに関係するものと言えば、放送局向けのコンソールに使うマイクトランス、入出力トランスがほとんどでした。
オーディオファイル向けのトランス設計を沢山やっていると思っていたのが、見事にあてが外れました。仕方ないので、MJ(無線と実験)誌にタムラのトランスを使ってせっせとアンプ製作記事を書いていました。
このことでタムラは少しばかり、オーディオに振り向いてくれて、当時、話題のIMひずみ率計とかヒューレットのオーディオアナライザーを買ってくれました。わたしのほかには触るものがいないので、専用測定器になっていました。さっそく、ライバルのLUX、山水のトランスを買って、内部を調べることもやらせてくれました。
そうそう、タムラはNFB巻線のパテントを持っていたので、採用していたLUXからはロイヤリティを払ってもらっていました。(ロイヤリテイ支払いは自己申告なので、LUXの販売量がわかりました。その数量が多いのには驚きました。)
さて、LUXのOPTの1次巻線は細く、沢山巻いてあるのが特長で、その分、ひずみが少なく、周波数レンジは広いものの、巻線抵抗による損失が多いのが気になりました。山水はSWシリーズが断然革新的な巻線構造を採用していて、パワーバンドウイズスが広く、かつ、損失は少なかったです。
タムラのトランスはその中間を行くもので、範となったトランスはUTC(解散してしまった。)トランスでした。
山水のSWシリーズは後年、山水に入社して、そこで分かったことは岡田さんという天才的(社内でもうもっと評価されても良かった!)なトランス設計者が編み出したものでした。その岡田さん(現在“技研トランス社長”とは今でもお付き合いはありますが。
そうこうしているうちに世の中、Hi―Hiアンプもトランジスタ時代となり、SONYのTA―1120(50W×2、¥88,000:当時初任給の3.5倍)が大ヒットします。
このアンプの電源トランスはタムラ製、当時最新のカットコアを採用していました。1回の注文ロットは少なくとも3000個で、びっくりする数量でした。まさにオーディオが本格化する前触れでありました。
しかし、驚いているだけにもいかず、納入したトランスが唸るというクレームがあり、社内では大問題になりました。
調べていくと、当時、カットコアは荷作り用のロープを締めるような専用工具でカットコアを金属製ベルトで両方から締めて、そして半田付けで固定するやり方でした。これはあの有名なマッキントッシュアンプに採用されているカットコアトランスも同じ方法でやっていたので、安心していたのです。
問題検討しているうちにハンダ付けに問題あることがわかり、その後しっかりした締め付け構造にしたので解決になりました。ミニミニ“プロジェクトX”みたいなものです。
よろしければ、次回は1966年にICを始めて見て、触れて、測定したことなど、その後のスピーカ設計、4ch開発、アンプの開発、海外SPメーカーのこと、CDのこと、などなどについて、皆様のオーディオの興味を持っていただければと思っております。そして、その経過においてWRアンプ開発者の川西さんとの係わり合いから、コンビでスタート切るまでとその後などなど、・・・。
ここまで読んでいただいて感謝します。
2006年4月15日掲載
この記事は、2005年9月18日に”WestRiver(ウエストリバーアンプ)”のサイトに投稿した記事をベースに書き直したものです。