イシノラボ/マスターズ店長の連載

第1弾 日本オーディオ史

第11回 メーカー製プリメインアンプはどうやって商品になったか?

アンプの仕事に携わってからすぐに、アンプの音質を含めたクオリティは、回路、部品、そして構造だと思った。これらの要素をうまく組み合わせることが必須なことである。

AUー607/707のパワーアンプ基本回路、電源給電方式が完成したので、次はシャーシ(機構)設計が気になってきた。シャーシ設計の前には、主としてパネルデザインを決定しなくてはならない。それまでの山水アンプのイメージはAUー111、AU777、AU9500とずっとブラックパネルに金属の光沢部分での調和で、どちらかと言うとごついフィーリングであった。今度もブラックパネルであることは決めていたが、9900シリーズがジリ貧であったので、何とかしたかった。そして、外部デザイナーと前年、入社したばかりの若手デザイナーとで競作して貰い、それを評価して、決めようということになった。勿論、パネルに付く機能はこちらで決めて、デザインをスタートして貰った。外部デザイナーの方は優秀で、極めてガッツある面構えのデザインモックアップを作ってきた。若手デザイナーO君の作品は極めて、スムーズで、落ち着きがあり、流麗さがあり、これまでの山水にないものであった。特に、ノブにレッドラインを入れたセンスは上品なセクシーを感じた。上司は若手O君のデザインを激賞した。わたしも同感であったが、スイッチ類にレバータイプを採用したことが極めて、立体的なアクセントを感じた。このデザインは30年経た現在でも、一番、良い出来だったと思っている。先日、O君(熟年になっていたが、)とTELするチャンスがあり、このことを話したら、やはり、自分でもそう思っていると、言っていた。

具体的に量産設計機構担当者に仕事が移る。構造面では電気設計とのすりあわせで、オーディオシグナルラインを入力から出力までどのようなレイアウトするか、また、電源はどのように給電するか、また、電源トランスなど、電磁波を発生する部分と小シグナルとは出来るだけ話して、干渉や飛びつきを防がなければならない。

さらに、組立ライン上でスムーズに流れるかが、重要な問題である。メーカーのやり方は基板ユニットはライン外とか下請けさんで部品取り付け、半田槽流し、ユニット動作チェックして用意する。組立ラインのスタートはシャーシフレームからである。車で言えば、モノコックボディのようなこのを組立、そこにアンプユニット、トランスなどが取り付いて、動くかたちになる。そこで、動作試験をおこなって、OKとなればフロントパネルを取り付け、つまみを取り付けて、再度動作試験をおこない、音楽を聴きながら、各種機能チェック、梱包完成となる。機構設計者はそのあたりをイメージしながら設計しなくてはならない。また、サービス性も重要である。修理時にスムーズに分解できないと修理が大変となる。工場組立では生産セクション、サービス性についてはサービスセクションがチェック、アドバイスする。組立ラインでは長くとも40分以内で完成するのが常識である。なお、サービス性で最悪だったのがJBLのアンプで、修理泣かせであった。このためにアンプビジネスから撤退してのでは思ったほどである。

ところで、シャーシはユニクロとかクロメートメッキの鋼板が使用されてきたが、AUー607、707では思い切って、シャーシに黒塗装を施すことにした。これは長く使っても、シャーシが錆びないために有効である。当然、原価アップするので反対意見が起るが方針を貫いた。さらに、トランスには山水のロゴシール、内部にはシールド板を施して電磁シールドの完全を期した。

ところで、プリアンプのフラットアンプは出力段はSEPPを廃して、コレクタ出力のシンプル回路で(差動初段は定電流回路付き)、初段のB−Cのコンデンサがないが、このあたりはWRアンプの思想を非常に良く一致していた。川西氏の主張であった負性抵抗の思想は無かったが、SEPP回路の超高域での不安定性は身にしみていた。

フォノイコライザー回路は当時としては斬新な7石構成のインバーテッド・ダーリントン回路であった。

ヒートシンクはアルミ重量がコストアップになるので、当時開発されたばかりの、チムニータイプが採用になった。ヒートシンクの中に煙突を設け、なるべく長くする。これで相当冷却効果は改善されると言う。電源トランスは2トランス方式にしたので、レギュレーションはあまり良くなく、このあたりがAUー607、707の音質傾向を示していたと思われる。電源コンデンサは12000μ/63Vを合計4個積んで、それなりに強力となった。AUー707では15000×4個の構成となった。

こうして、段々とかたちが整い、1976年の6月頃には第一次試作が出来上がってきた。その外観は落ち着き、何よりのエレガントでセクシーさが感じられた。これまでのガッツあるブラックフェースとはずいぶん、印象が異なっていた。出てきたサウンドもその雰囲気に合致して、パワフルな、耳から血の出るようなジャズサウンド再生にはあまり向いていないように感じた。それよりもしっとりしたボーカル、クラシックおける奥行き感、清澄さが抜群なように感じた。それにしてもDCアンプはこうゆうものかと、新鮮は驚きを覚えた。発売は10月が死守だったので、量産試作が8月に迫っていた。量産試作の出来栄えで、改良を加えつつ、外部でのフィールドテストをおこなう予定を立てた。フィールドテストとはオーディオ評論家に聴きに貰ったり、お宅に伺い、不具合はないか、イメージとおりのサウンドになってきるか、評論家の方達がどのように感じるかもその目的にあった。

次回は当時のオーディオジャーナル、オーディオ店の反応などを記して見よう。現在とは異なり、驚くような活気、熱気があった。それだけビジネスになったのだ。


2006年5月7日掲載