イシノラボ/マスターズ店長の連載

第1弾 日本オーディオ史

第12回 AU−607/707の発売近づく

あわただしくなってきた。SONYの新開発DUAL−FET、2SK97は何とか量産に間に合う手はずとなった。パワートランジスタはNECのTO−3タイプ2SC1403A、2SA745Aのシングルppでこれも量産手配は整った。

量産試作品は各10台程度出来上がってきた。2台は信頼性テスト用、1台は工場分析用、2台は設計検討用、残り4台でカタログ・広告用写真用、販売促進用とに割り振られた。

我々には各3台を好きなように使っても良いということになった。始めて、社外から外に持ち出すことになった。どこのオーディオメーカーでも、当時、広報担当という人材がいてオーディオジャーナル、評論家に向けて活動していた。広報担当者は非常にアクティブな人材で、JBL大好き、ジャズも大好きという頑張りマンであった。

当時のオーディオジャーナルの状況を伝えておこう。技術寄りでは”ラジオ技術”、”無線と実験”、"電波科学(廃刊)”、国内オーディオ寄りでは”ステレオ”、”ステレオ芸術(廃刊)”、同人誌的なものとして”オーディオ・ピープル(廃刊)”、輸入オーディオ寄りでは”ステレオ・サウンド”、当時は”週間FM(廃刊)”、”FMファン(廃刊)”、”FMレコパル(廃刊)”のFM誌も相当影響力があった。業界向けには"オーディオ専科→オーディオアクセサリーに発展”、電波新聞社もオーディオページに力をいれていた。デッキ専門誌として”テープサウンド(廃刊)”音楽寄りでは”レコード芸術”、スイングジャーナル”などなど、本当に盛況であった。当然、ライターが不足して、急遽、オーディオ評論家になった方々も多かった。

量産試作機のアイドリング調整、DC調整などをファインチューニングして、社内のJBL4320でヒアリングチェックしたりして、いよいよ、評論家S氏(現在でも、国内第一人者)のお宅に持参した。S氏はJBLファンでJBL代理店であった山水には好意的であった。当時はまだマッキントッシュのXRT−20の発売前で何と、試聴用にはJBL4320を使っていた。S氏はパイプをくゆらせながら、AUー607を4320に結線して音を出し始める。使用したカートリッジはパイプ材をシェルに採用したゴールドバグのMrブライヤーだったと思う。最初はS氏が録音した名古屋フィルがバックのベートーベンのピアノコンチェルトだった。さらに氏の録音したジャズコンボなど4、5曲を聴き終えて、コメントを言い始める。自分で喉が渇いて、緊張しているのが分かった。”今までの山水アンプのサウンドとまったく違うね!良質のゴムのような弾みを感じるし、澄んだ音だ!アンプのかっこうもワイルドさが消えてエレガントだねえ!、これはヒットするかも”とまで言ってくれた。後でわかったことだがS氏はリップサービスはしない人であった。確かに弾み感は電源が適度に変動しているのでこのあたりがプラスに働いたと思う。100Wを超える高級プリメインだったら、マイナスであろう。ともかく、初めての外部でのテストでは良い結果を収めた。

上司、パワーアンプ回路基本設計のT氏、やや疑問を持っていた営業販促スタッフも販売に少しは自信らしきものを感じたようだった。これで勢いを得て、次は情熱を込めたオーディオ評論では今でも語り草になって、46歳の若さで他界されたSF氏のお宅に伺った。氏のお宅はその頃まだ、団地に住んでいて、狭い室内をオーディ機器が占領していた。奥さんが大変だな!と自分の家の状況を重ね合わせてそう思った。氏のレコードプレーヤーは超大型のEMT927をメインに、プリアンプはマークレビンソンLP2を使っていた。スピーカーはまだ国内では未発売の4341(後に4343に発展する)、ほかにKEFのBBCモニターをセットしてあった。ヒアリングカートリッジはEMT/TSD−15にトランスでステップアップしてアンプのフォノ端子に送り込む。レコードはシャンソンのバルバラを掛けたことを思い出した。あとはクラシックなど数枚掛けて、アンプはAUー607と707両方を聴いてくれた。SF氏は工業デザイナーでもあったから、まず、デザインを高く評価してくれた。”山水のあくの強さ、やや田舎臭い派手さなどが無くなって、品があり、エレガント!”と言ってくれた。わたしは始めて聴くJBL4341のサウンドに聴き惚れてしまった。4341は日本ではほとんど販売することなく、4343より小ぶりの4ウエイ構成で、コンパクトの割りに、低音感もあり、非常にまとまったサウンドを出していた。SF氏も音質は非常に気に入ってくれたが707のほうを評価したようだった。後のステレオサウンド誌の評価テストでは707が推薦機になっていた。

あと、10人以上の評論家のお宅に伺って聴いたが、彼等の評価よりも、いろいろな組み合わせ、リスニングルーム、様々なプログラムソースでの対応で問題ないか、この組み合わせは特に良いとかを記憶に刻み込んでいた。興味ある体験としては、電気工学出身のK氏宅に伺ったときである。K氏はその時分はコンデンサと音質との相関を研究しているようだった。

さっそく、ブロックケミコンにパラってある松下の1μフィルムコンに目をつけた。我々は電気的に超高域でもインピーダンスが上がって、アンプの電源として不安定にならないような配慮であった。K氏はさらに1個を継ぎ足して、それもフィルムコンの巻き取りと反対方向に互いに取り付けると良いと言う。分からないことではないが、それほどのことではないと思った。私がそのような顔をしたのをK氏は感じ取ったのであろう。持ち込んだAUー607でテストして見たらという、その場ヒアリングテストとなった。K氏は大のクラシックファンで毎年バイロイト音楽祭を欠かさず聴きに行く方であったし、N響の定期会員であったし、100回/年近くは演奏会に行っていると言った。プログラムソースはディスカウで”冬の旅”であったと思う。で、やってみたら、ボーカルは確かにさらにスムーズに聴こえた。

その後、K氏は音質部品の開発に携わって、いろいろな高音質パーツがその後出現することになる。

さて、このことを量産で実施することがストレスになる。合計4個追加の材料費アップは!しかも反対方向につける工場側への指示は!そんなことは出来ないと言われるであろう。会社に戻って、さっそく、関係部門へリクエストした。反対意見が続出した。しかし、ヒットするから!と言い切って押し切った。上司の後押しも有難かったが、ヒットしなかったら、アンプの商品化にかかわることは責任上退くしかないと覚悟した。

営業部門もかなりの覚悟を持って、取り組んでくれた。全国の主要販売店の売り場責任者を会社に招待して、新アンプ説明会を開くことになったのだ。トータルで50人はきてくれたと思う。そこで、講習会形式で1日、ほとんどをアンプのプロモートに費やした。最後の質疑応答で四国に販売店の方が、森真一を聴かせてくれと言う。聴き終って、森真一の個性的な中低域の味が足らないという。歌謡曲で判断されてたまるか?とムキになった自分がいた。冷静になって、その方は音楽は中低域がしっかりしていないと、オーディオとして魅力がないと言いたかったのだ、と私は理解した。特に販売店でのヒアリングではこのあたりが重要ポイントになるのであろう。急遽、その部分の音質改善検討を開始した。

次はこの検討結果とライバル機種との商戦模様など、お楽しみに。

AU−607
AU−607
(上記の写真はAU-607.comの管理人様から許可をいただいて掲載させていただいております。)

2006年5月10日掲載