MCトランスをプリメインアンプに内蔵させることは、当時も、今振り返ってみても成功したと思っている。このあと、各メーカーはMCヘッドアンプのことをあまり訴求しなくなった。MCカートリッジは大電流、微少電圧の変換器であるから、何といっても、MCカートリッジにはトランスが最もマッチする。それから、ずっと、MCトランスはMCカートリッジの必需品になったが、最近の高価格には驚くやら、呆れるやら、である。皆さんが、再度アナログレコードにチャレンジして、MCトランスのニーズが増えれば、良品が買いやすい価格で発売されるようになるであろう。バカ高いMCカートリッジも一部のブランドだけになることを願っている。いくら何でも高級CDプレーヤーより高額であることは納得できない。1970年代、サンスイが当時のSUPEXにMCカートリッジを1万個程度オーダーしたときは、その価格は¥1,500程度だったと思う。
そうした感慨はそれとして、1881年の秋、上司が突然、現状のプリメインアンプ、それもAU―D607F/EXTRAを貸して欲しいと言ってきた。どうしてそのようなことを言い出したのかを尋ねると、“今のアンプは、オーディオ的なサウンドとしては良いかも知れないが、音楽的観点で聴いてみると、やや音楽の流れがきつい、音楽的快感が今一歩!“と言われた。あまり、面白くない言われ方であった。
上司は、父上がギタリスト、弟さんが作曲家、いとこがジャズ歌手というDNAの持ち主であった。わたしと言えば、祖父(41歳で早死)はコンサートホール専任ピアノ調律師であったし、父母も音楽好きで、小さいときから、蓄音機が周りにあった。けれども、上司の音楽的センスは並みのものではなかった。数日して、工場から、アンプが届き、上司に預けた。上司は、“このアンプ、いろいろ改造しても良いか?“と言うので、OKといわざる得ず、上司はアンプを自宅に持ち帰った。しばらくして、上司から、アンプ開発メンバーを自宅に連れてこい!と言うので、確か、私を含めて4名(開発リーダーTa・Sさん、大活躍中T・Suさんも含まれていた)で上司のお宅を訪問した。上司のスピーカーはJBLのMinuet75だったと思う。上司は“それでは聴いてみてくれ!”と言って、内容を明かさず、我々に聴かせた。そのサウンドは現状のFシリーズよりもはずんで聴こえた。“これが音楽なんだ!”と上司は力説した。さらに、“音楽は呼吸する生き物なんだ!”とも言った。“君達、エンジニアは、音楽を機械的に、音楽の真髄を認識せず聴いていないか?”とも続けた。我々は、その意味を理解することよりも、アンプをどのように改造したかに興味があったし心配でもあった。“分かりました!改造内容を教えて下さい!”と我々は言った。それではと言って、上司は改造内容をアンプ見せながら、話し出した。
製品にこの技術を採用しようとすると、そのような問題点が浮かびあがってきた。
今から振り返ってみると、当時はオーディオがブームであったゆえに、上司の言うように、オーディオ的な刺激を求めて、それが売れる時代でもあった。我々、開発チームは行き過ぎて、オーディオ底なし沼に入り込む、入口に立っているのかも知れなかった。さっそく、上司の提案を製品に反映すべき方策を考え始めた。
そのような、仮説を立てると、これまでやってきた銅メッキシャーシも上記の内容を改善しようとした方策だったかも知れない。 開発チームのT・Suさんが中心となって、グランド周辺の問題を解析して、電源回路に工夫を加えた試作アンプを我々に聴かせた。確かに、弾むような、鮮やかなサウンドがそこに展開した。その内容は、L/R2電源回路としたこと、電源トランス中点に流れる汚染電流を抑制するために10Ωの抵抗をシリーズに挿入したこと、らに、電源の0V中点を10Ωの抵抗を介してシャーシに接地すること。けれども、アンプの増幅基準ポイントのアンプ入力付近にあるNFB基準のサミングポイントと電源中点とは0Ωで結ばれている。副作用は特になく、コストアップも抵抗が4本増すこととそのための工数増加であった。 確認のため、上司宅でも聴いて貰って、OKを貰った。せっかくであるから、新製品にすべきと考え、理論武装が欲しかった。改善回路を構築したT.Suさんが中心となって、理論的に解析し、この新電源回路を“グランド・フローテング”回路とネーミングした。勿論、ラジオ技術、MJなどのオーディオ誌には関連記事を書いて掲載して貰った。新製品ネーミングはAU―D607GEXTRA、AU−D707GEXTRA、AU―907GEXTERAとした。
このシリーズはいわばスーパーフィードフォワードの集大成であると感じていた。すなわち、この回路にこだわっている以上、これ以上の発展はないと思うようになった。そうして、ここから抜本的なイノヴェーションをするには、“グランドに影響されない回路が必要だ!”とおぼろげながら想い始めた。わたしの頭のなかに少しづつ、回路アイディアが浮かんできた。それが次のXバランス回路に到達するきっかけになったと今でも思っている。
2008年 3月28日掲載