イシノラボ/マスターズ店長の連載

第1弾 日本オーディオ史

第50回 オーディオ・ジャーナルとデジタル録音の難しさ

欧米のオーディオ評論と評論家

1970年代、何度かアメリカ出張した機会に、レップ、オーディオショップ店員に“サンスイアンプのSound Quality はどうですか?”と尋ねると肩をすくめて、“Sound Quality! What?”という答えしか帰って来なかった。“それでは、どんなアンプが良いアンプ?”と質問を続けると、“Low Impedance 負荷対応力!”という答えが帰ってきた。具体的には4Ω負荷で、どのくらいのパワーが出るか?さらに2Ω負荷でも使えるのか?が、アンプの実力であるし、セールス・トークになるようであった。一番、顕著なのはカーオーディオであった。

10mm径の太い電源ケーブル、スピーカケーブルを得意げに販売しているブランドもあった。当時は“STEREO FILE”というオーディオ誌が全盛であったが、その雑誌に書くライターは、測定結果を重視し、どのようなサウンドになるかという情緒的な文章はなかった。

さらに、アメリカのレコーディング・スタジオでも同じような反応で、どのように日本のアンプが音質面で入り込んでいくかは、無理であり、徒労であったように思えた。

かつて、アメリカのオーディオ評論家ジュリアン・ハッシュが、良いアンプとは“Straight Wire with Gain”という、色つけのないアンプこそが良いアンプと言ったが、スタジオ録音が主体のレコード界では、どれが原音であるかを言うこと自体あまり意味が無かった。クラシックにしても、実際の録音ではマイクセッティングは多岐に渡っているし、2本のマイクだけで収録するにしても、その2本のマイク位置で、がらがらと音調・サウンドが変化するのだから始末が悪い。けれども、必ずどのオーディオアンプでも、どのようなスピーカや音楽ソースを再生しても、ある程度の音調の傾向は認められる。おおざっぱに言って、アメリカのオーディオ評論は、オーディオ技術的なことを重視して、サウンドについては細かく表現しなかった、むしろできなかったというべきであろう。

それでも、アメリカのレコーディング・スタジオ連中はサウンドを熟知していて、音質表現語こそ少なかったが、サウンドを聴かされただけで、言いたいことが分かった。その後、ケーブルとかのオーディオアクセサリーが日本で話題になり、ビジネスになってくると、次第にアメリカのオーディオ評論は、サウンドについて段々と言及するようになってきたが、長期的にはアメリカの製品生産力が衰退し、海外に依存して、金融とか知的財産に頼ってくる気配が芽生え始めてくると、アメリカのオーディオビジネスは同じように衰えてくるように感じた。これは1980年代の後半になるとさらに感じてきた。(日本産業も海外生産に依存するようになると、同じような経過をたどることになると思うし、2011年には、もう純粋な日本製ピュアオーディオ製品はアキュフェーズくらいしかない。もちろん、小規模で日本組立をおこなっているブランドで、世界的に評価されているところも少なくない。)

さて、一方、イギリスのオーディオ評論は、アメリカよりも踏み込んで、オーディオ製品について音質や音調を重視して評論するようになっていた。特に、オーディオ誌“Hifi−Choice”は、はっきりとベストバイを選定して掲載していた。また、そうすると、ヨーロッパではその評価と売上に相関関係があった。イギリス人はオーディオに多額のお金を使わないから、日本で言えば普及品クラスのアンプが評価の対象となった。

特に、上記オーディオ誌のメインライターであるマーチン・コラム氏の評価が売れ行きに影響するというレポートをイギリス駐在員が送ってきた。“何とかして欲しい!”と言う内容であった。

何回かのやり取りで、“マーチン氏を日本に呼ぼう!”ということになった。しばらくして彼は来日してサンスイに来訪した。当時は40歳代だった。さっそく、一緒に音を聴きながらコメントしてもらうと、いろいろと音質表現語で指摘してくれたが、英語であるので、日本語の音質表現語とは少し違うようであった。

もちろん、マーチン氏の来日に備えて、“オーディオ・ラボ”等のイギリス製プリメインアンプ3機種程度を購入して、比較試聴できるようにしておいた。こうして、時間を掛けて一緒にやっていると、“もう少し、スムーズなサウンドが出ないか?”ということを言っているようであった。

マーチン氏は電気系の学校出身者であったので、“回路図を理解できるか?”と尋ねると、“OK!プリーズ!”と言う。そこで、回路図を眺めながら話してみると、どうも、アンプの主流回路方式である差動回路に問題点があると言っているようだった。

同じような体験は、オーディオ界の大先輩で半導体ギターアンプの設計者の方にも言われたことを思い出した。

けれども、初段増幅回路の安定性は、差動増幅方式をやめられない点でもあった。2段目も差動回路を採用することは、さらにサウンドが悪化すると言うのが、マーチン氏の主張のようであった。具体的には、せめて2段目の増幅回路は差動回路を避けるべきと、マーチン氏は主張した。どうしようかということになったが、あくまでもビジネスであるから、そうすれば売れ行きが好転するなら、そうすることも必要であると思わざるを得なかった。

心配していたサウンドは、色彩濃いサウンドとなって、そのようなサウンドを好む人はたくさん存在すると思った。DC安定度は悪化したが、それは、DCアンプをやめてACアンプ回路にすれば解決できたし、温度安定度も工夫すれば問題なくなった。

マーチン氏には、会社は時間あたりのアドバイス料は支払った。その後、その回路に変更したアンプはイギリスで好評で、売れてきたということは覚えている。

後年、他の上場会社ブランドのアンプもマーチン氏を招待することはなかったが、同じような経過を辿って、回路変更をおこなったということを聞いた。確か、3ブランド3モデルのアンプだったと思う。

評論家がオーディオメーカーを動かすというかたちになったが、マーチン氏はオーディオアンプ回路書籍の著者でもあったから、純粋に、自分の信念を主張したと思えば、わだかまりは消えていった。

1990年代に入ると、オーディオ評論に音質というところを海外の評論家も少しずつ書くようになったし、評価するようになっていった。音質のところは“パーフォーマンス”という項目で採り上げていた。

1970年代、日本のオーディオ評論は、電気的な測定においても海外のように独自測定して、オーディオ評論の一部として載せてみたが、各メーカーからの反発もあって、出版社は引っ込めざるを得なかった。(特に、オーディオ評論家、故、長島達夫さんのお宅は船橋市で近くであったので、2度ほど訪問できた。あの伝説的なジェンセンのスピーカ・システムも聴かせていただいた。長島さんは発想が非常にユニークで、ある意味、電気的測定面ではメーカーの先を行っていたので、メーカーは追いつけず、クレームをつけざるを得なかったと今では思う。)謙虚に考えれば、オーディオメーカーは、とりわけアンプについては、負荷を純抵抗相手にして検討をおこなっていて、せいぜい容量負荷の安定度くらしか考慮しなかったことに、至らないポイントがあったように思える。

サンスイでは、測定用の負荷装置が必ずLE8Tの等価回路で、安定度、性能をチェックするようになっていたのは、他の会社にない素敵なところであったが、多くのアンプエンジニアはあまり重視しなかった。これは、アンプ屋はスピーカに関心なく、スピーカ屋はアンプについては無知な方が少なくなかった。

その後の日本のオーディオ評論は、測定することをやめて音質表現に徹し、その表現語の豊かさや多さは、海外に比べて優れていたと思う。その成果がオーディオ・アクセサリーアイテムで花開いたと言うべきであろう。

デジタル録音の難しさ

CD登場前後からデジタル録音が多くなってきていた。コロムビアではPCM録音を宣伝し、アナログレコードにすでに採用していた。評価はイマイチであったように覚えている。

その後、ダイレクト録音の難しさ(ミュージシャンが付いてきてくれない!)に頓挫して、新会社テラークでは、サウンド・ストリームのデジタル録音機を用いてデジタル録音をおこなってきたし、JVCも独自にデジタル録音システムを開発して、当時のソ連でデジタル録音をおこなってきた。これらのアナログレコードをそれから30年経った現在に聴きなおしてみると、FF(音の大きな爆発するような部分)部のひずみの少なさ、分離の良さはアナログ録音より優れているように思えた。但し、pp部(音の小さい部分)では、特にメリットが感じられない。

オーディオ・ラボレーベルで数々の名録音を残した菅野沖英さんは、デジタル録音には慎重であった。

ようやく、1983年5月にピアノ名手 ルドルフ・フィンルクスニーが来日し、友達でもあった菅野さんは彼のピアノ録音をデジタルでおこなうことを決意した。サンスイにも協力して欲しいということなので、N・Aさんと私がお手伝いに出向いた。録音ホールは東京、石橋メモリアルホールであった。プロデューサーは音楽評論家、山根銀次氏の娘さんの山根美代子(故、シモン・ゴールドベルグ夫人:2006年死亡)さんでした。録音エンジニアは勿論、菅野さん、マイクは三研、ショップスであった。デジタル機器はSONY、モニターSPはJBL L−250、モニターアンプはマッキン C33、MC−2500であった。シューベルト、ヤナーチェック、ドビッシーと、比較的地味な曲目の録音であった。録音が始まり、モニターしているときから、私はなんとなく、やさしいサウンドであるが激しさリアル感がもう少しと感じていた。録音自体はスムーズに終了した。

しばらくしてCDができ上がり、菅野さん宅で聴かせていただいた。悪くはないが、やはりリアル感、激しさがもう少し欲しい感じであった。マイクをある程度近づけていたので、もっとダイレクト音が入っているべきだったし、音が消え入るところの表現がもどかしかった。菅野さん自身も、“イマイチのサウンド”で、満足していないようだった。

お手伝いのお礼として、そのCDは頂いた。このCDを聴きなおして、やっぱり同じような感想であった。

菅野さんの録音はジャズでもスタジオを使うことなく、ホールの空気感を大事にして録音して、その独特の空気感は今なお評価も高いし、好きな方が多い。私も大好きである。

菅野さんはその後、北村英治さんのクラリネットとピアノとのデジタル録音をおこなった。私は北村さんからサインを貰って、買ったが、その演奏はすばらしかったが、かつてのオーディオラボレコードでの、雰囲気ある空気感あるサウンドには及ばなかったように感じた。

先日、録音スタジオをやっている方が来訪されて、いろいろ話をしてみると、どうも、アナログ録音とデジタル録音においては、再生してみると、間接音、反響音の出方が違うと言っていた。録音は難しいものだ!

それでは次回も読んでいただければありがたいです。


2011年12月26日掲載