オーディオ全盛時、オーディオ用ソフトとして、音質が良いのはクラシックかジャズと決まっていた。
具体的には、オーディオ誌には、クラシックやジャズのカテゴリーで、録音評が掲載されていた。(特に、故 高城さんの“ラジオ技術”誌のクラシックレコー録音評は、権威あるものとされていた。)
さらに、オーディオ熱が高まるにつれて、アメリカンPOPSもソフトとして注目されるようになってきた。私がサンスイに入社して、最初、スピーカー設計を担当していた時は、ジャズ好きの上司がアメリカ(まだ、1$:¥360の時代)出張で買い求めたカーペンターズのファーストアルバムを音質検討用に使い始めた頃であった。
また、当時、菅野沖彦さんは、自分で録音した“オーディオラボ”レコード(ジャズ,クラシック)を、主にヒアリングチェックに使っていた。
熱心なクラシックファンの故 金子英男さんは、個人的にはクラシック以外は全く興味がなく、自宅試聴室では、クラシック音源でオーディオコンポの評価をしていた。従って、クラシック以外のヒアリングは許さなかった。
あるとき、私が美空ひばりのソフトを持ちこんだら、かなり怒って、しばらく私は金子さん宅へは“出入り禁止”となった。金子さんの言い分は、加工されたサウンドではヒアリングチェックができない、ということであった。
当時のオーディオ界にあって、オーディオ大好き、JBL大好きの東芝EMIの名ミクサー、行方洋一さん(4chステレオ開発時に知り合いになった)は、東芝EMI所属の渚ゆう子、奥村チヨ、オーヤン・フィフィ、由紀さおり等の、演歌でないポップス歌謡のレコーディングについては、ほとんど担当していた。
行方さんは、何とか、ピュア・オーディオジャンルにおいて、クラシック、それに続くジャズ音源だけでなく、ポップスジャンルでもピュアオーディオファンに聴いて貰いたいと思っていたと思う。
行方さんは、はじめ、オーディオ各社に非売品でオーディオチェックレコードを製作して配った。内容は、SL,花火大会,邦楽,コーラス,ピアノ(現代音楽),オーケストラ,ソウルでDレンジが広く、凄いサウンドが聴けた。
オーディオメーカーから大評判を呼び、是非、販売すべきとの声が上がった。そのような声に応えて、東芝EMIは、行方さんがネーミングした“プロユースレコード”と銘打って、これをオーディオファン向けに販売した。このレコードは評判を呼び、想定した売上をはるかに超えた。
この勢いを駆って、次は女性ボーカルを集めたレコードを発売することになった。
当時としては珍しい“フィメール・ボーカル”というタイトル名も新鮮であった。また、レコードジャケットは、オーディオ好きの行方さんらしく、アンプのプリント基板と女性シンガー画像とを合成したオーディオっぽいものとなった。
このレコードも売れに売れた。これまでのオーディオ向けレコードとは異なったポップス歌謡が音源になったからだ。
音源の品位は素晴らしかった。これは、行方さんがレコーディングした音源が主体だった。
そして行方さんは、最高のサウンド品位であった2CH/76cmでリマスタリングをおこない、よりサウンド品位を高めた。そして、76cm・ハーフスピードカッティングで原盤を作ったからだ。
好評な売れ行きによって、“フィメール・ボーカル”の第2弾、第3弾と次々と製作・販売された。けれども、やはり、“フィメール・ボーカル”の第1弾が一番売れたようだ。
このフィメール・ボーカルの音源は2ch同時録音と16chマルチトラックテープレコーダでの音源とに分かれるが、やはり、ダビング回数の少ない、2ch同時録音のほうがサウンドは新鮮であった。そのなかの“アドロ”、“雨の日のブルース”は傑作音源であり、いずれもマルチトラック録音ではない。
そうして、1982年登場したCDによって、事態が急変してきた。
アナログレコードそのものの販売が急激に落ちた。もう、アナログレコードは絶滅するかも知れないということで、多くのカートリッジブランドも消えた。
その後、行方さんは東芝EMIを離れてフリーとなった(のちに、ビデオサンモール社長、現在もサウンド・エンジニアとして活躍している)。
私もサンスイを離れ、CTSを設立して、何とか経営が安定した時期、あの“フィメール・ボーカル”が気になってきた。
CTSから東芝EMIに就職したM・Hさんに、そのあたりの事情を聞いてみた。その返事は、“東芝EMIはまったく、プロユースレコードをCD化する気がない。マスターテープもどこにあるかどうかわからない”ということだった。
“それでは外部販売CDとしての販売は可能か?”と聞いてみると、“問題ない”という回答であった。
それでは、CTSでCD化した“フィメール・ボーカル”を制作してみようと強く思った。会社に損害を出すといけないので、売れるかどうかの予測をしてみたが、まるでわからない。
そこで、思い切って1000枚作る事にして、東芝EMIに、M・Hさんを通して交渉したら、OKという。そうなったら、“マスターテープを探してくれ!”と強気に出られた。
しばらくして、東芝EMIから、“マスターテープが見つかった!”という連絡が入った。但し、当時のジャケット写真や原稿はないという。
やはり、当時の面影を残して復刻したかった。困っていると、M・Hさんから、“私の家にフィメール・ボーカル”レコードがあった!“と連絡が入った。
ジャケットの状態も良いという。内部の解説書もきれいと言う。
それなら、これらを写真製版すれば復刻できる。
そこで、1000枚、東芝EMIに注文した。しばらくして、M・Hさんから、“マスタリングの用意ができたから、立ち会ってくれ”と言う連絡があった。
当時、溜池にあった東芝EMIのスタジオに私は出向いた。
マスタリングエンジニアは、アナログレコードカッテンングの名手だった岡崎さんであった。
オープンデッキはSTUDER A−80、モニターSPはALTEC 620Aであった。まずは、A面・B面分のマスターテープを76cmスピードで聴かされた。マスターテープの音質品位は素晴らしく、これならうまくいくと思った。岡崎さんから、“CD化にしますが、どうしますか?”と言われて、私は、“そのまま、何も通さずCD化して欲しい!”と言ったら、少し驚いたようだった。
イフェクター(イコライザー、コンプレッサー等)を通さず、そのままのマスターテープ・サウンドがCDになったかたちとなった。個人的には、低域(150Hz近辺)をほんの少し持ち上げたかったが、下手するとサウンド品位が落ちるので、それはやめた。
こうして、でき上がった“フィメール・ボーカル”CDは、オーディオ誌の広告だけで広報して、700枚くらいまでの売れ行きは順調であった。
特にA面相当の曲が好評であった。
700枚以降はぼちぼちの売れ行きで、最後に残ったCDは私が引き取った。
ビジネス的には赤字は出なかったので、やれやれの心境であった。
その後はイシノラボで販売しており、現在、在庫少なくなったが(30枚程度)、まだ¥2,000で入手可能である。
なお、以後第2集、第3集の“フィメール・ボーカル”CD化の希望はあったが、1000枚を売り切ることは大変なので、今もってCD化はできないでいる。
低音が出にくいALTEC系のスピーカーで聴く方は、低域をわずかにブーストすると、さらに心地よいサウンドが聴ける。
サウンド品位の高いマスターテープは、まだまだ、多くのレコード会社の倉庫に眠っている。
何とかしたいものです。
“フィメール・ボーカル”
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2013年12月30日掲載