イシノラボ/マスターズ店長の連載

第1弾 日本オーディオ史

第62回 真空管プリメインアンプを委託設計する

設計依頼のきっかけ、準備

1994年頃、突然、老舗オーディオブランドの企画・設計部門の方から電話があった。この会社とはこれまで縁がなく、サンスイ時代、ショーとかで、お顔を合わせることがあっても、特に、お話することもなかった。
ともかく、来て話を聞いて欲しいと言うことであった。
早速出向くことにした。その会社は当時、韓国・サムソン資本下にあったが、それなりに元気なようであった。

京急の青物横丁で下車、徒歩10分程度、近代的な素敵な高層ビルの上階(9F,10F)にあった。ショー・ルームスペースもゆったり取られており、眺望も良く、素敵な環境であった。

企画部門のSさん、技術部門の責任者Oさん(のちに独立してブリッジ・オーディオを創る)が出迎えてくれた。

お話を伺うと、久しぶりに真空管プリメインアンプを製品化したいという。それも創立70周年記念モデルにすると言う。
アンプのモデル名も栄光のネーミングを付けて、それにSignatureを付加するつもりという。
社内で設計したほうがよろしいのでは?と言ってみると、会社にはもう真空管アンプ技術に携わるエンジニアもいないし、マンパワーも不足しているが、機構設計者は社内で充当できると言う。

量産設計となると、試作アンプを作る業務は一部で、設計事務量が多く、かつ、その会社のやり方に慣れるは大変である。

どのような量産設計方式を採っているかを聞くと、アメリカのGE社に準じた設計システムと言う。“この業務は大変だ!”と感じたが、ともかく、我々の会社として引き受けることにした。

具体的には、量産部品表をその会社の方式に従って、部品コード番号を書き込んでいく。そうすると、部品発注はコンピュータ方式でおこなわれ、部品在庫管理、組立部門まで一元管理される。時として、試作品検討結果によって、部品変更する必要事務も発生する。その場合も、このようなコンピュータ・システムで処理することになる。

また、当然、回路図作成、プリント基板設計はCADシステムを採用しているので、どのような方式と聞いたら、図研のCR2000システムと言う。
この方式は、センターコンピュータでコンロールし、各端末から入力して設計業務を処理する。(最近ではパソコンソフトになり、さらに高度化されている)我々の会社はCR2000システムがないので、外部にそのようなシステムをやっているところはないものかと探したら、水戸のほうにあった。その会社と契約し、プリント基板設計、回路図関係のCAD情報を送り、その会社でプリント基板設計CADデータ、回路図情報を記録して、こちらにメモリーとして送ってくれるようにした。なにしろ、まだネットが無かった時代であった。

真空管プリメインアンプの設計

A社はそれまで、真空管パワーアンプ回路はリークムラード型を採用していた。今回は、2年前に発売したパワーアンプに採用したウイリアムソン回路にしたいと言う。私はウイリアムソン回路を知っていたが、実際、設計したことは無かった。回路の低域時定数が1か所増えるので、あまり乗り気になれなかった。
けれども、良い経験になると思い、この回路に取り組んだ。初段、位相反転は12AU7系、次段は12BH7A、パワー管はEL34を採用したいと言う。当時でも、欧米のEL34は数の確保が難しく、また、非常に高価であった(GE、シーメンスでも)ので採用できないと言う。中国製のゴールデン・ドラゴンを採用すると言う。中国製真空管の性能のばらつきにはそれ以前、苦労した。最近は、段々と良くなっているし、ゴールデン・ドラゴンは選別されているから、まず問題ないと言う。

トーン・コントロール回路はA社独特の回路を採用。フォノ回路はFET初段+OPアンプでなかったかと思う。
出力トランスはA社伝統のOYタイプを採用すると言う。当然、自社生産ではなく、国内下請け会社に製造を委託していた。電源トランス、チョークはA社の下請けを長年していた会社がまだ、京都に健在でそこに作らせると言う。

まずは外観工業デザインスケッチを見せてくれた。全体は真空管パワーアンプ風であったが、フロントパネルはゴールドで、価値感と落ち着きがあり、スマートではないが好ましいと感じた。

機構設計はA社ベテラン設計者Tさんが担当、まずはレイアウト検討、センターに電源トランス、両脇に出力トランスはすぐ決まった。出力トランスの前にEL34を2本ずつ、トータル4本を並べる。整流用ブロックケミコンは電源トランスの前に3本建てる。チョークはアンプシャーシ内部に収納することになった。トーン・コントロール回路はシャーシ面の前部中央付近、その両脇にパワーアンプのドライバー真空管を配した。フォノ回路は当時、もうCD主体の時代になっていたから、ウエイトは小さくなっていて、フォノ入力付近のシャーシ内部に入れ込むことになった。

マスターボリュームは向かって右側、入力切替スイッチは左側、電源スイッチは左端になった。サイズは430mm幅、高さ179mm、奥行387mmの堂々たる姿となった。重量は22kgくらいになりそうだった。

内部配線はプリント基板方式となり、両面スルーホール基板を採用することになったので、基板設計は大幅に楽になった。ただ、パワー管のソケット、ブロックケミコンへは配線となったので、プリント基板には多数のコネクタがつくはめになった(写真参照)。

この基板はその後、後続の3機種くらいに使い回しされ、役立った。この回路設計では、これまでA社もわたしも固定バイアス回路は2本のプッシュプル間のバイアス電圧調整でプッシュプルバランスを取っていたが、D社の名人設計者のT・Tさんのアドバイスで、4本のEL34に独立したバイアス回路を作り、個別にバイアスを可変出来る方式とした。

さらに、EL34の各カソードとグランドアース間に10Ω抵抗を入れて、その間の電圧を測定することによってカソード(プレート)電流を可変できる方式となった。こうすることによって、パワー管のプレート電流を規定でき、また、この電圧を揃えるとプッシュプルバランスが取れて、パワーアンプの残留ハムノイズ調整が正確にできるようになるメリットがあった。回路構成はやや複雑になったが、メリットのほうが大きくなった感じがあり、のちのマスターズの真空管アンプもこの方式をずっと採用している。

設計は割と順調に行き、試作もトラブルが少なかった。組立、調整、測定はA社の試作室を使用させていただいたが、測定器等、なかなか整備されており、やはり一流オーディオメーカーと感じた。

サウンド調整とヒアリング

試作アンプは30W強のパワーが出て、ひずみ、ハムノイズ、S/N比、周波数特性等、その実力は企画した仕様をクリアできた。技術責任者のO・Fさんは次にサウンドの検討をやろうと言う。

視聴室はA社内に2か所あって、片方はJBLの9500、片方はJBL4343が置いてあった。O・FさんはJBL4343を使うと言う。聴かせて貰うと、片方のユニットのうちミッドレンジユニットからわずかに異音が出ていたが、O・Fさんはそれを気にしないで聴けば、ヒアリング作業に問題ないと言う。私も気にしない事にして同意した。CDプレーヤーはA社自慢のフルエンシーDAC(筑波大、教授が考案)搭載したOP07、DA07を使うことになった。このCDプレーヤーは当時の他のCDプレーヤーのようなきついサウンドがなく、スムーズサウンドで好ましく感じた。

そうして、O・Fさんと一緒にCDを聴きながらサウンド検討していくが、マイルドでゆったり傾向なサウンドは、いろいろ回路定数、部品等を変更しても変わらなかった。(注:抵抗はリケンのRM抵抗を全面的に採用していた。ブロックコンはニッケミであった。)

O・Fさんは少し不満そうであった。“例えば211シングルのようにプレートに高電圧を掛けたシャープでハイスピードなサウンドを出したい!”と漏らしていたが、どうしてもそうはならなかった。
私はこのような真空管アンプらしいゆとりと言おうか、落ち着いたサウンドは嫌いでなかったし、このようなサウンドはお客様から好感をもたれると思った。

また、ひそかに、ゴールデン・ドラゴンのEL34がそのような性格のように感じていた。EL34は今更、ブランドは変更できないと言うので、このようなサウンドで仕上がることになった。

その後の量産設計は設計関連の資料造りが大変であった。こうしないと量産設計の資材手配、生産現場の製造がうまくいかないのであった。

これはある程度の規模のブランドでは避けて通れないところであった。この傾向はパソコン等によるコンピュータ・システムが進展するとさらに大変になってきた。ここ20年のアンプ量産設計者はこの設計事務に時間を取られて、本来の設計業務に時間を掛けられない傾向が強くなってきている。

発売後の評判、実績

1995年秋、このアンプは創業70周年記念モデルとして、“SQ38Signature”となって発売された。

当時の評論家のコメントを記すと、“TANNOYと組み合わせたサウンドは、まさにいぶし銀サウンド。ホールで聴くような、奥行感あふれた感触”とあった。売れ行きも上々で4桁を記録したと言う。この仕事は充実感があり、また、この会社はO・Fさんをはじめ、A社の皆さん、オーディオマインドにあふれていた方達が多かった。

後年、A社とのお付き合いは、私がマスターズとして独立したときにも関わりあうことになるのだった。

【こぼれ話】オーディオ関係の学者とのお付き合い

今回のテーマには関係ないが、記しておきたい気持ちになった。

志賀健夫さん: 日本コロムビアOB、工学博士

1990年頃、高校の先輩、Hさんの紹介ですでに日本コロムビアを定年退職されていた志賀さんを紹介された。今では、ほとんどのオーディオ関係者は知らないと思うが、1960年頃、まだ、フォノカートリッジがクリスタル・カートリッジが主体の頃、東大卒の志賀さんは日本コロムビア研究所に入社し、クリスタル・カートリッジの発電体ロッシェル塩の結晶軸を調べ、ある角度で切断すると、周波数特性、ひずみ等優れたクリスタル・カートリッジになることを発見、発明した。このカートリッジは“志賀カートリッジ”とネーミングされ、1960年の前半、けっこう名声を博した。このようなことは皆さんご存じないだろう。私もまだ高校生の頃だったと思う。

志賀さんは数学に強く、電気現象解析には優れた方だったらしい。
戸塚方面のご自宅に来てほしいというので、伺った。要件を伺うと、新型スピーカーシステムを開発したいと言う。それは効率が高く、ワイドレンジで小型化したいという。スピーカー設計経験のある私からすれば、少なくとも高効率を取り下げてくれなければ、理論的に無理があった。
志賀さんは4Ωユニットをパラレル接続すれば可能と言う。
けれども、それはアンプのことを考えない無理があって、アンプに対し、2Ω以下の低負荷となって、少し大きな音にすれば、アンプのプロテクションがたちまち動作してしまった。

後年、インフィニティのスピーカーが4Ω定格で売出し、実質、中低域で2Ω以下のインピーダンスになって、アンプメーカーを困らせた事象に似ていた。
インフィニティの販売会社はDENONラボであったから、インフィニティスピーカーを否定できず、DENONのアンプはSCRを採用して、2Ωに負荷インピーダンスが下がっても、動作しない独特のプロテクション回路が今も搭載されているはずである。
それを説明して、志賀さんは納得されて、ご自分で試作を重ねられたが、製品化されることなく、しばらくして他界された。

富成 襄さん: スーパー・ステレオのこと

富成さんは元々振動・サーボ分野の学者(工学博士)であって、都立大の教授をされていた。サーボ理論の学術書はコロナ社から出版されて名著であった。また、オーディオ好きで“ラジオ技術”誌には度々投稿されていた。

富成さんは独自理論のトーンアーム、MCカートリッジを開発した。大学を退職され、1977年には、ダイナベクターを創業した。また、真空管アンプにも興味を注ぎ、オンライフ・リサーチブランドでプリアンプ、パワーアンプも製品化された。しばらくは順風で社員数は数十名いたと言う。CD登場後はカートリッジ等の売れ行きが激減して、ダイナベクター社は10名以下の小さい規模になった。

その頃、我々の会社はダイナベクター社(岩本町)の近くにあったし、間を取り持ってくれたラジオ技術社(淡路町)も近くであった。

その頃、富成さんは従来のステレオ再生音場に疑問を持っていて、これでは充分なオーディオが楽しめないと、独特の“うなり波動理論”をラジオ技術誌に掲載したし、音響学会にも論文提出したが、その波動数学理論をベースした論文はだれも理解しがたく、海外にも論文提出し、音響関係の学会誌に掲載されたが、同様、音響学者も理解できなかったようだ。けれども、日本、アメリカ、ドイツ、イギリスのパテントを取得した。
富成さんは、その方式を“スーパー・ステレオ”と命名した。その専用アンプを設計、製品化できないかとラジオ技術編集部経由で、相談があった。

1993年頃であった。アンプとしての内容はサイド、リア用のパワーアンプ内蔵のプロセッサーであった。プロセッサーの内容は入力されたステレオ信号をBBD(バケット、ブリゲード、デバイス)素子を通して、遅延させて、サイド、リアスピーカーから音を出すものであった。

その専用アンプは“SSA-6A”と言うモデル名であった。50台ロットで2回程度の注文を頂いて納入したが、それ以後は無かった。別のOEM先に頼んだらしい。 このアンプは2011年頃、当時のダイナベクター社の技術者から久しぶりに連絡があり、修理依頼を受け、修理した実績がある。

スーパー・ステレオ方式はサイドスピーカーとフロントスピーカーに対向させて、フロントスピーカーとの間に音がぶつかり合う音場を創り出し、ある意味、サンスイのQSシンセサイザーに共通する発想を感じてしまう。さらに、リアスピーカーを設置した6スピーカー方式となると、さらに再生音場は音にあふれ独特の雰囲気があった。
私は近くでもあったので、そのサウンドデモには富成さんの招きで何回も聴かされた。確かに、リッチなサウンドであったが、混濁してしまう音源もあった。富成さんはオーディオマニアではなく音楽ファン、音楽家に大好評という話であった。メジャー方式にはならなかったが、その後の5.1chサラウンド方式への通過点であったかも知れない。

富成さんは英語堪能であったから、海外に友人が多く、サイド用スピーカーユニットはイギリス、バンドール社(メタル一体型フルレンジユニット)からユニットを輸入していた。また、ケーブル、MCカートリッジで有名なヴァンデン・ハル氏とも親交があると言っていた。
私は厚かましくも、ヴァンデン・ハルのカートリッジを買ってくれないかと頼んだら、面倒くさがらず、2個、取寄せてくれた。それなりに高価であったが、まだ国内未発売のボロンカンチレバー、ラインコンタクト針の逸品であった。

また、富成さんはイギリスのアレックス・モールトン博士とも親交があり、モールトン博士(イギリスのミニ・クーパーのゴムサスペンション設計者として有名、先年、死去)が発明した高性能自転車の輸入販売ビジネスも始めた。
実物を見たが、小型であるがサスペンションが独特で、世界最高速自転車でもあった。買いたかったが、超高価であった、現在もそうだ。
富成さんは2002年に惜しくも他界されたが、現在も当地で息子さんの富成太郎さんが引き継いで経営を継続している。ダイナベクターカートリッジ、トーンアースは好評で特に海外では大好評と聞いている。

つたない文章をお読みくださいましてありがとうございます。まだ、まだ続きます!


プリント基板方式の内部配線(両面スルーホール基板)
プリント基板方式の内部配線(両面スルーホール基板)


2014年5月25日掲載