イシノラボ/マスターズ店長の連載

第1弾 日本オーディオ史

第78回 MASTERSブランドアンプ製作をスタート その1

スタートできる時期がきた

これまで約3年、Dクラスアンプの委託設計業務に大半の時間をとられてしまっていた。ようやく、1kWアンプ業務も終了して、イシノラボから自分のブランドを立ち上げたかった。
まず、ブランド名は迷わず、MASTERS(マスターズ)と決めた。この意味は“名人”“達人”であり、そのようになりたいという願望からネーミングした。
当時、すでに通販でイシノラボから真空管等の部品を販売していた。MJ誌に隔月で1/2ページの広告であったが、それなりに注文があった。それはRCAブランド真空管が他店より豊富に、また安価に売れたからであった。また、アメリカのアリゾナにあるアンティーク・エレクトロニクスの担当者と懇意になって、いろいろと貴重な真空管も入手できた。この時代、メールは猛烈な勢いで普及していたが、まだ、ホームページを開設するところは少なかった。また、現在より、はるかに多くの真空管販売業者が存在した。GE,シルバニア,タングソル,ウエステングハウス(あの原発の会社)、ヨーロッパではフィリップス,ムラード,テレフンケンなどがまだ市中在庫していた。また、東芝、松下、NECの真空管はまだ何とか入手することができた。 この当時、有数の真空管在庫業者と言えば、故、上杉佳郎さんでした。ウエスギアンプ製作工場の地下に数万本のGE、松下真空管を在庫して、業者間では有名であった。

さて、マスターズブランドアンプとして、どのようなアンプにしようかと考えていた。
そのころ、山水時代から知っていた音元出版のI・Mさんに久しぶりに会った。
いろいろとオーディオ業界の話が及んで、私は、“これからはビンテージオーディオの時代がくると思う!何故なら、CD登場によって、アナログレコードの矯激な退潮があり、CDはメディアとして完全であるから(SONYの言い分)、アンプの優劣、差異は少なくなる、というような風潮になり、オーディオアンプの開発は滞ってしまった。だから、ビンテージアンプに関心が戻るかも知れない”と話した。
Iさんはその後、“アナログレコード再生”という特集を出して、大好評の売れ行きとなった。この状況から、音元出版から、“アナログ”が出版されるようになったと私は思っている。
そのようなわけで、MASTERSブランドアンプのはじめは真空管アンプにしようと考えた。
一方、この時期、学生時代からの盟友、川西さんのWest-Riverアンプ商品化のサポート、そして、West-Riverアンプの製作を引き受けスタートしたのもこの時期からであった。
詳しくは川西氏の掲示板(1999年6月から始まっている)に記述されている。

真空管アンプからスタートした

真空管販売を続けていくうちに、自然とカスタム真空管を製作して欲しいとの要望を受け、いろいろな形式の真空管アンプをカスタム製作した。5998,6080,6AS7G,6C33CB等のSEPPアンプ、845,211等の高圧真空管アンプなどがあった。
前述した音元出版から創刊された“アナログ”誌のクラフト記事に、MASTERSブランドでEL34pp組み立てキット記事(ウイリアムソンパワーアンプ)を2回に分けて掲載させていただいたのも、懐かしい思い出である。編集部の皆さんも好意的でヒアリングに自主的に参加してくれた。
この記事のおかげで組み立てキットとしても購入希望者は10人近く生まれ、嬉しい忙しさになった。しかし何といっても、組み立て実体配線図作成は、絵心のない私にとっては苦痛であった。そうこうしているうちにこの組み立てキットは終了させた。

この時期、このようなことができたのは、ある名古屋の配電盤組み立て会社の社長さんのおかげあった。
突然、手紙が舞い込み、板金が得意で、かつオーディオ好きなので、シャーシを作らせて欲しいとのオファーであった。
この方はI・Eさんと言い、個人で会社を経営されていた。お話を聞くと、ラフな図面でも製作可能、しかも、焼き付け塗装、シルク印刷も1台からやってくれると言う。
ありがたい申し出であり、何といっても、I・Eさんの誠実な人柄が素敵であった。
West-Riverアンプの初期(それでも9年間)のシャーシは、この会社で作っていただいた。その数が150台くらいあったと思う。
MASTERSアンプは10年間で軽く400台は超えていたと思う。
けれども、本業の配電盤製作の受注が頭打ちとなり、4年前、廃業するとの知らせがあって、シャーシケース製作は依頼できなくなってしまった。

バイファイラー巻きトランスの商品化

きっかけは、低インピーダンス負荷用のSEPP OTLアンプの5998,6080,6AS7G,6336A,6C33CBのような、元々、定電圧制御用の低内部インピーダンス真空管を採用せざるを得なかった。
かつては、スピーカーインピーダンスは16Ωが標準であり、16ΩならSEPP OTLを何とかオーディオアンプとして使えると思っていた。ところが、半導体アンプが主流となって、スピーカーインピーダンスは8Ωが標準となり、さらには、6Ωスピーカーも登場してくると、上記真空管では出力が取れず、かつ、ひずみが増えてしまう結果になっていた。それでも、SEPP OTLにこだわる方は頑張っていた。

私は、低内部抵抗真空管がもっともパワーを出して、ひずみの少ない条件で使うべきと考えていた。それにはマッチングトランスを介して、実現するのが良い方式と考えた。

検討してみると、80Ω:8Ω程度のインピーダンス比のトランスが最適ということが分かってきた。たまたま合致するトランスが手元にあったので、6080SEPPを作ってみた。歯切れがよく、ひずみも少なく、残留ノイズも少ないアンプができあがった。
自己満足ではなく、客観的な評価も見てみようと、当時、“ラジオ技術”に投稿し掲載された。そのうち、編集部より、視聴会を開催するから出品してくれないかと言われた。それではと、出品して、“音にうるさい方達”に聴いていただいた。切れ味よく、すっきりしたサウンドは好評であった。 それではと欲を出して、マッチングトランスの改良を考えてみた。オーディオ用トランスは1次,2次間の巻線結合度がもっとも重要である。そこで分割巻き等の手法をとるのが高級オーディオトランスのやり方であった。
それより進んだ方法はマッキントッシュのように、1次、2次等の巻線を同時に巻くことであった。この方法でマッキントッシュはMC275のような優れた真空管アンプを開発したのであった。
私は上記のインピーダンス比なら、巻線比はその平方根の3:1になるから、同じ太さの巻き線を2本一緒(バイファイラー巻きという)に3巻線巻いて、1次側をシリーズ接続、2次側をパラレル接続すれば、できあがると考えた。サンスイOBが主任設計者を務めている橋本電気に作って貰おうと、主任設計者のIさんに話してみた。Iさんはやってみたことはないが、何とかやってみようと、引き受けてくれた。
パワー容量は30Wで、コア材はオリエントとした。しばらくして、2個できあがってきた。
すぐ、6080SEPPアンプに付けていたマッチングトランスをこのトランスに交換して聴いてみた。歯切れの良さはそのままに、清らかで、しっとりした、スムーズサウンドには感激した。
このトランスは、トランス単体で販売することにした。それから、ずっと、販売を継続しているが好評である。
よく、“16Ωのスピーカーのときはどうなるか?”との問い合わせがくるが、そのときは160Ω:16Ωのトランスになる。但し、低域から取り出せるパワーは半分の15Wになる。
また、1次/2次をシリーズ接続して、単巻トランスとして、88Ω:8Ωとして使うことも賢明な方法である。
このマッチングトランスの使い方は半導体アンプにおいても有効で、その場合、半導体アンプの負荷は80Ωとなり、ひずみは大幅に改善する。そのわけは、負荷インピーダンスが大きくなることによって、アンプの動作はAクラス動作領域に移行し、通常のAクラス動作アンプのように大量のアイドリング電流を流す必要がなくなる。(ちなみにアキュフェーズの30W、Aクラスアンプのアイドリング消費電力は200Wを超える。)
一方、マッキントッシュの半導体アンプは、単巻トランスに入力を2Ωタップに、出力側に4,8,16Ωタップを設けて、どのタップでも同じ出力が出るようになっている。
私なら、そのトランスに80Ω巻線を設けて、Aクラス動作機能を付加させたいと思う。

STAXイヤースピーカーとの関わり合い

STAXの静電型ヘッドフォンについては学生時代から使用していた。ドライブアンプは真空管で自作して楽しんでいた。その、いやな刺激のない、美しいサウンドは好みであった。なによりもピストンモーションによるひずみのないサウンドが魅力であった。

当時のダイナミック型ヘッドフォンは刺激的で、とても長時間ヒアリングには耐えられないものであった。
そうこうしているうち、月日が流れ、私がMASTERSを起業したころ、山水OBのN・Aさんから、興味ある話があった。N・Aさんによれば、STAXの創業者の林さんが90才を迎え、記念モデルとして、大型ホーンロード付きのコンデンサースピーカーを開発して欲しいとのはなしであった。
私としては、6000VくらいのDC電圧を掛ければなんとか実用化できると構想を伝えた。そのうちに、スタックス工業(株)の経営が厳しくなり、倒産、廃業の憂き目に会い、それどころでは無くなった。
名門ブランド、独創的なオーディオ機器製造会社が無くなるのは忍び難いものがあった。この想いは、従業員の方達は、もっと感じていたらしく、この方々が立ち上がって、自分たちで、有限会社スタックスを1996年に設立したのだった。この間の苦労は、社長として、永年、この会社を継続させた目黒陽造さんは大変だったと思う。目黒さんは山水OBであり、私とは気持の合う、誠実な方であった。微力ながら、私は何とかサポートしたいと思い、何回か会社に伺い、オーディオ誌に2度ほど紹介させていただいた。また、MJ誌にSTAXイヤースピーカーをドライブできる真空管アンプ製作記事を載せたりした。
ちなみに、STAX社の専用ドライブアンプの回路は、直結/高NFB回路により低ひずみアンプであった。どちらかと言えば切れ味の良いドライブアンプであった。
(うわさによれば、かつて、STAXに一時在籍された、天才アンプ設計者、N・Sさんが創り上げたアンプと言う。)
私は、まろやかなサウンドのドライブアンプもあっても良いと思った。そもそも、静電型スピーカーは高圧DCを振動板に印加し、両側電極にバランス信号を入力させれば音が出るのである。
バイアス電圧とも言える高電圧DCは、当初は+300V程度あった。
その後、現在の+580Vになっている。
実験してみると、+300Vから+600Vに電圧を上げていくと信号板と電極との張力が大きくなり、音圧は3dB程度、上昇する。
サウンドも歯切れよくなる方向である。あまり高電圧にすると、振動版は電極にタッチして、放電による火花により振動板に穴があいてしまう。

それはそれとして、私は真空管アンプでSTAXイヤースピーカーをドライブしようと考えた。
始めは、抵抗負荷のプッシュプル電圧増幅アンプを作って、+580Vのバイアス電圧を作って、STAXイヤースピーカーを接続すると、うまく音が出た。 そのサウンドはさわやかで、温かく、良いサウンドと言えた。物足りないところは、大振幅のドライブ電圧が取れないことであった。それでも200Vpp程度が達成でき、充分、実用になった。この時点で製品化し評判が良かった。
けれども、もう少し、大きな音が出るような高電圧出力が欲しかった。そうなると、抵抗負荷による増幅では限度があって、大きな高電圧がとれるプレート・チョーク(インダクタンター)方式を採用することにした。
具体化検討すると、プッシュプルアンプにすれば、出力トランスがプレート・チョークとなって、実現できることが分かってきた。
そこで製品化したものがEL34ppアンプの一次側から、コンデンサーを介して、STAX用ドライブ電圧を取り出すことを可能としたものである。しかも、このアンプは通常のスピーカーを同時に鳴らしても、まったく問題がなかった。それはSTAXが容量性であり、また、アンプの安定度に影響を与えるような大きな容量ではなかったからである。
さらに、プッシュプルアンプをバランス入力信号で動作するようなバランス増幅アンプとした。
そうなると、通常のヘッドフォンは出力トランスの2次側に接続すれば音がでる。さらに、ヘッドフォンのバランスドライブも実現できた。
このアンプでSTAXを聴くと、その美しいサウンドにうっとりしてしまった。
STAXの社長さんにも聴いていただいたが、“あたたかできれいな音ですね!”とコメントしてくれた。
次の段階は、EL34ではどうしても大型、重量級になってしまい、もう少し小型化、そして、安くしてほしい。そのかわり、スピーカーによりリスニングはせいぜい5Wもあればよいと言う要望もあって製品化したのがSX-3000シリーズであった。

もうひとつの方法は、通常の半導体アンプの出力に通常のプッシュプル用出力トランスの2次側を接続し、2次側巻線から、高圧DCで掛けて、2次側をSTAXに接続すれば音が出る。プッシュプル用出力トランスに掛かる電力は容量性負荷となるから、巻線は細くて良いし、再生低域で磁気飽和しないような出力トランスなら、ドライブアンプでひずむようなことはまったくない。
このあたり、ひずみ率に優位にたつ半導体アンプのメリットである。実際、非常に低ひずみのバランス信号をSTAXイヤースピーカーに送り込める。専用の接続ソケットは有限会社スタックスの好意で分けていただいた。
このような事情でMASTERSでは、スタックスのドライブアンプとして好評をずっと得ている。近年、スタックスのイヤースピーカーの進歩は目覚ましいものがある。一方、ダイナミック型ヘッドフォンの進歩も著しく、素晴らしいサウンドが得られる。
なかなか難しいオーディオビジネスにあって、ヘッドフォン業界だけはホットである。

AUDIO SPICEブランド真空管アンプのお話

その後、しばらくして、クエストアメリカのI・Fさんから、アメリカ在住のKさん(北海道出身)を紹介された。Kさんは生活のために、アメリカで屋内配線の仕事を通常やっているが、本来、大変な真空管愛好家であり、また、真空管アンプについてユニークなアイディアを持って、それを海外の富裕な方からの注文を受け、1台、1台、ハンドメードで製作していた。
Kさんの回路は、全段直結方式シングルアンプで、原則として直熱3極管をパワーステージに採用。そのために、電圧増幅部にパワー段とは積み上げ方式で、直結のためにプレート・チョークを採用していた。Kさんは日本で製作しても良いということであったが、見返りは、Kさんが受注したカスタムアンプのトランスを日本国内で作らせてアメリカに送ることであった。
私は、MASTERSブランドとは別個に新しいブランドでやってみようとI・Fさんと検討し、クエストアメリカとのコラボレーションによるアンプとして、オーディオボードでのブランド、AUDIO SPICEとした。
製品化には、ひずみの少ないシングル用のパーマロイ出力トランスを採用してみたかった。
ちょうど、山水OBが務めていたOEMトランス会社の阪東電機(すでに解散)のTさんに相談すると、P社のトランスケースが余っているので、安く作ってあげると言ってくれた。
けれども、パーマロイコア自体が高価であるため、高コスト部品になってしまった。
まずは2A3シングルで試作してみた。8W程度のパワーが出たが、消費電力は多く、ともかく、原価が高くなって、普通のオーディオファンには向かないと感じた。肝心のそのサウンドはリッチで、しっとりして、それにパワフルで良かった。
(ホームページの販売終了製品の中で画像が見られます)

アメリカのKさんに様子を伺うと、Kさんは¥250万以上で富裕層から注文を受けて作っているとのことであった。それもアメリカ国内ではなく、イタリアやロシアの金持ち相手ということであった。(AUDIO NOTEアンプは当時すでに、高額で世界的ブランドになっていた。世界には超高額でも購入する富裕層はいるのである。ちなみに、ロシアのメドベージェフ首相は大変なオーディオ愛好家という噂がある。)
私としては、そのような高額オーディオアンプは私の主旨とは少し違うので、利益を得ることなく、数台の製作で、AUDIO SPICEアンプは終了させた。

次回予告

つたない文章をお読みくださってありがとうございます。
次回はMASTERSブランドによるMOS FETアンプ開発のお話に続きます。