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イシノラボ/マスターズ店長の連載

第1弾 日本オーディオ史

第42回 オーディオ評論家さんとの係わり合いで得たこと

井上卓也さんのこと

日本のピュア・オーディオの発展・推移において、オーディオ評論家のはたした役割は少なくないと思っている。

“アンプとトランスの違いは何?”と問われて、直ちに明快な答えを出せるエンジニアはどれほどおられるだろうか?

アンプはエネルギーの負荷への供給の仕方をコントロールするもので、入力されたオーディオ信号が負荷に行くまでに大きな電力になって負荷に伝わるわけではない。

一方、トランスは入力されたエネルギーを負荷に伝えるものである。

従って、アンプにおいては、負荷に伝わる電力供給のあり方が大変重要なのである。

そのような課題は現状の電気的な測定と官能の領域の相関は取れない場合が多い。しかし、オーディオは聴いて楽しむもので、データを見て、楽しむものでもない。

そのような観点から、井上さんには、はじめは電源方式について聴いて貰い、判断を仰ぐことにした。その当時は、トリオ(まだケンウッドになっていない)が打ち出した2トランス2電源がはやっていた。

サンスイではAU−9500で、L/R2巻線,2電源,大型トランス方式で多くの支持を得ていた。今でもそうである。

AU−607,707では、トリオの流れに乗ったかっこうで2トランスにしたが、本当にそれで良いのかは気になっていた。この両機種は大ヒットとなったが、相対的にトランスのレギュレーションがほどほどで、入力信号の大小でアンプの電源電圧の変動は大きかった。これが、躍動感があると聴こえ、それで良いとの見解もあった。

しかし、D907の製品化にあっては、もう少しどっしりしたたくましさが欲しかった。それでは、大型のL/R両電源にするのも、L/R信号のわずかな相互クロストークも気になった。そこで、井上さんには、L/R2トランス,1トランス方式とを聴いて貰った。井上さんは、しっかりしたサウンドの大型の1トランスのほうを支持した。

それでは、ここで、プリドライブ段を別トランスしして、更に2巻線にして2電源を作り、メイン電源は大型のトロイダルトランスで、聴いて貰った。井上さんはこれが一番良いと言い切ってくれた。確かにそれは良いはずであった。原価はアップするし、トランスのスペースも食うので、アンプの機構設計者泣かせとなったが、機構設計者は懸命に頑張ってうまく納まった。

それから、井上さんには、安定化電源のコントロール方式(シリーズ方式,シャント方式),ブロックケミコンの種類,アンプ内電源の太さと引き回し,電源配線のツイスト,グランド回路のインピーダンス,レイアウト,シャーシメッキ処理等、かなりの懸案事項について聴いて貰って意見を頂いた。

井上さんは当時、ダイヤトーンスピーカについてアドバイザー的な役割をしていたらしいので、スピーカについてはプロのエンジニアと言えたので、スピーカ再生の観点からもアンプの果たすサウンドについて良い参考意見を頂いて、当時のアンプに反映したところは少なくなかった。

また、サンスイのスピーカーシステムでは、SP−G300,G200におけるあのガッツのあるサウンドは、井上さんのアドバイスによるところが多かったように感じている。

井上さんは電源の極性,スピーカケーブルの這わせ方,スピーカの置き方についてはすばらしく感度が高く、こちらが何度もテストしても同じ判断で凄い感性の高い方と思ったし、今もそう思う。井上さんはその後、スピーカーフレームのグランドとか、メカニカルグランドという観点で実力を発揮して、大いにオーディオ界に貢献したと思う。

井上さんは大変な人見知りで、なかなかお相手を正視して話せない“はにかみやさん”でもあった。また、話し方も決してうまくなく、井上さんの講演を聴いたことはなかった。

“ステレオサウンド”では健筆を振るって、その正確で正論の記事は大いに役立ったと思う。

井上さんは、絶対に自分の装置について他人に見せない方で、最後まで井上さん自身の装置のことは分からなかったが、ご自身、真空管アンプについては大変な知識で、後年、”管球王国“で上杉さんや石井さんと互角に渡り合って解説されていたことには感心する。

井上さんは50才を過ぎて心臓を悪くされて、常時“ニトロ”を持参されていたが、出張先で急死された。69歳?だったと思う。

異常に感性の鋭い評論家さんを失ったことは、オーディオ界の損失であった。オーディオ関係の方は比較的短命傾向だが、もう少し健康に気を使ってくれればと思う。

金子英男さんのこと

金子さんの名前を知ったのは、オーディオクラフト誌での真空管アンプの自作記事であった。

しばらくしてから、オーディオ誌に評論,評価が掲載されるようになってきた。そのメイン誌は音楽之友社の“ステレオ”だった。1970年代からオーディオマーケットは拡大を続け、オーディオ誌の数は増え続け、書き手が必要であった。

金子さんは東京電機大学の出身で、オーディオ評論家さんの中では理論派であったが、クラシック音楽をこよなく愛し、終生、“N響会員”であった。また、ワグナーの“バイロイト音楽祭”には毎年出かけて、本場のサウンドを知っている方であった。

私がスピーカ設計をやっていたときには、まったく接点がなく、AU−607,707の開発に関わってから金子さんを知るところとなった。

当時、これらのアンプを評論家さんに紹介に回っているときに、プロモーション担当のN・Aさんから、“金子さんが何か言いたいことがあるらしいよ!”ということを聞いた。

時間を見つけて中目黒のご自宅を伺うと、まずびっくり!玄関先からオーディオ誌が積み上げてあって、身体を横にしないと部屋に入れない。オーディオルームは20畳以上ある音響処理された部屋であったが、物が一杯で歩けないし、遮音ドアも閉められない。部屋の中は、人が3人くらい入ると一杯になってしまう狭さであった。

それは、オーディオ機器を置いてあるからだけでなく、レコードやCDがやたらといっぱい置いてあるからだ。また、試作オーディオ部品もそのあたりに散らばっていて、とにかく凄い有様であった。それでも、金子さんのシステムは低音ホーンをはじめとした大型自作システムを整備されていた。

金子さんは昭和一桁時代の生まれで、物資のない時代に育ったから、捨てられないのであろう。このように言うわたしも、なかなか捨てられずに、倉庫スペースを削減されるたびに、整理して捨てたり処分するようになった。

さて、金子さんの初対面の印象は、太っていて、身長は高くなく、髪はきちんと整髪されて、清潔な感じであった。話しぶりは江戸っ子弁(実家は目黒の金物屋)で、歯切れが良い。

そして、“AU−607は悪くはないが、手を入れればもっと良くなる”と言われた。こちらは自信作と思っていたから、“ムッ”とした。でも、話は聞こうと内容を伺うと、ブロックケミコンによって音質は随分違うと言う。当時の私は、同じ仕様ならばどこでもそれほど違わないという程度の認識であった。当時の資材部もブロックコンデンサは2社購買で片寄らないように、また、買い付け価格の面でも有利にしようとする資材政策があった。

金子さんは、AU−607のブロックケミコンを替えて聴いてみようと言われた。当時は、ニチコン,ニッケミ,エルナーの3社はメジャーであったから、ニチコンとニッケミを交換して、一緒に聴いてみた。なるほど、明らかに違う。どちらかと言うと、ニチコンのほうがスムーズなサウンドであった。

資材部の担当者に聞いてみると、どちらに指定しても構わないという前向きな言葉を貰ったので、AU−607にはニチコン12000μ/63Vを4本、AU−707にはニチコン15000μ/63Vの採用を決定した。

そうこうするうちに、金子さんから、N・Aさん経由で、“更に音質が向上するから、アンプを持参して来い!”と言われた。行ってみると、松下の1μ/250Vのフィルムコンを、上記のブロックコンに付けると更に良くなると言われた。すぐコンデンサを渡され、その場で確認しろと言う。付けてみると、確かにスムーズで抜けの良いサウンドとなった。これは当たり前のことで、コンデンサーの高域インピーダンスが低下して、アンプの電源インピーダンスが改善されるのであった。

しかし、4個もつけるとなると¥240くらいのコストアップになるので、簡単にOKは出せなかった。それでなくとも、この機種は儲からない巻き返しのための戦略アンプだった。これ以上の材料費アップは痛かった。会社の関係者は1円単位でコストダウンの努力をしているのだし。

会社に持ち帰り上司に報告した。上司には“お前はどうなんだ?”と言われた。わたしは、“コストアップはやむをえないが、今後、無制限に社外の意見を採用するわけにはいかないので、その都度判断する”と言った。“それではやろう!”と上司は言ってくれた。早速、仕様変更通知書なる社内文書を書いて、関連部門にお願いした。

このフィルムコンは巻き始めと巻き終わりがあるので、ブロックケミコンに取り付ける際、方向性に注意する必要性があった。このような製造作業指示は、今も親交あるN・Yさんがやってくれた。

このようなやり取りから、金子さんとのおつきあいは始まった。

私はかねてから、“アンプは回路,レイアウト(構造),部品の要素から決まる”と唱えていたが、金子さんは、部品にのみ関心を寄せ、他には意見を言わなかった。

また、金子さんはクラシックの演奏会は100回/年以上行っているので、クラシック音楽には詳しかった。特に、海外からの演奏会は必ず行っていたようだった。

よって、我々が伺うのは演奏会が始まる前か後かになった。後になると、帰宅されるのは午後10時頃になるので、我々がおいとまするのは午前2時頃というのも珍しくなかった。わたしは、会社の車を借りて帰り、翌朝は5時起きして、高速道路が混まないうち会社には7時頃着くような有様だった。ハードワークであったが、嫌いな仕事ではなかったので、疲れはなかった。

人間、仕事が嫌いとか思うと疲れは倍化するので、読者の皆さんもこのあたりは留意されたい。どこかに楽しさ、自分のペースを見つけたいものだ。

まだまだ、面白いいきさつがありますので、次回をお楽しみに!


2010年6月18日掲載


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