イシノラボ/マスターズ店長の連載
第1弾 日本オーディオ史
第66回 EL34ppパワーアンプを委託設計する
委託設計の依頼
ロジャース製品、ロジャースジャパンの業務に注力しているとき、自宅にA社のO.FさんからTELがあったと家族が言う。
翌日、O.FさんにTELすると、以前、設計業務をおこなったEL34ppプリメインアンプの売れ行きが好調であったので、その勢いで、同じケースを使ってパワーアンプを製品化したいと言う。類似性があるので、同じエンジニアに設計を依頼したほうが話が早く、設計期間、設計のレベルもリスクが少ないから、頼みたいと言う。
私は個人(フリーエンジニア)として、A社と委託設計契約ができるかどうかが心配であった。その点を伺ってみると、A社としては、個人事業主とは契約できないというA社の見解であった。
私は“それでは、この話はこれまでにしましょう”と言わざるを得なかった。
O.Fさんは、会社に掛け合ってくれて、契約のかたちとして、設計会社を表向きとして間に立てて、その設計会社の委託というかたちなら、会社は契約できると言ってくれた。また、設計会社も紹介してくれた。
さっそく、紹介された横浜にある設計会社を訪問した。その会社はデジタル関係の設計会社であったが、事情を話すと、その会社の社長は“我々に迷惑が掛かってこなければ、よろしいでしょう”と承諾してくれた。
そこで、設計会社とA社との契約書、設計会社と私との“覚書”等の手続きを踏んで、何とか、設計業務を引き受けることになった。
どう進めていったか!
平日は外資系販売代理店の従業員として働きながら、このような設計業務をなぜ引き受けようと思ったのか?
確かに、海外オーディオ製品に係ることは大変興味あることだし、事実、仕事内容には自分なりのやり方をある程度認めてくれた。けれども、オーディオ海外ブランドの日本法人化で継続していくことは、過去の例をみてもやさしくなく、数年で撤退(最近ではマッキントッシュジャパン)した例が多い。また、私として、このままの状態で終わろうとする気もなかったし、生涯現役でいたかった!少なくとも、60才になる前に個人事業主として独立して活動していこうという考えがあった。
このような考えから、無理を承知で、この仕事を引き受けた。約3か月間の業務計画であった。お金よりもむしろ、自分のキャリアアップと人脈もひろげておきたかった。
短期間であるから、平日の夜、土・日をあてるにしても、マンパワーはどう見ても不足し、とても一人でやれそうもないことは自覚していた。そこで、かつて、設計委託業務先の名エンジニア、T.Tさんにヘルプして貰えないかと話してみた。T.Tさんは、設計者を卒業して、関連会社勤務であったので、少しは時間が取れそうだと言ってくれたし、T.Tさんも大のオーディオ好きであったから、話に乗ってくれたのだと思う。
量産設計業務
設計業務と言う仕事は、職場にコンピュータ-が導入される以前は、1年間程度の設計期間がとれていた。なぜなら、プリント基板の設計には、方眼紙に下図を書いたりして、消したりして、試行錯誤ができた。大型コンピューターによるCADシステムが導入されるようになると、下図完成度を上げて、CAD入力者に提出しなければならない。下図を渡せば、直ぐに入力すればすぐにプリント基板図は完成され、写真製版されて、プリント基板屋に回り、試作基板ができ上がってくる。(近年は各人のパソコンにCADが導入され、自分で完成させ、メールでプリント基板屋に情報を送れば、プリント基板が出来上がってくる。)
今回のパワーアンプはSQ38Signatureとパワーアンプ部は同じ回路を採用すると言うので、回路検討期間は省略することができた。
リクエストは1枚のプリント基板に真空管ソケット等を取り付けて、より組立工数を削減して欲しいということだった。
定尺サイズは横幅380mmくらいであったから、その基板に8本の真空管全部、さらに、ブロックケミコンも取り付けるようにした。(写真参照)
スペースはSQ38Signatureと同じサイズであったから充分に取れた。
試作用プリント基板ができ上がってきて、すぐに、用意しておいた部品を取り付けて、とりあえず基板だけで動作させるように作業を進めた。
A社にはプリント基板用GTソケットがないので、自前で入手してほしいという。それでは、アメリカサンスイOBのI.Fさんに連絡したら、何とか入手してみるという返事が返ってきた。その情報をA社に伝えると、A社の資材から、何と、量産手配もできないかと言ってきた。少し、驚いたが、I・Fさんは、買い付けられると言ってきた。そのソケットは中国製であった。結局、中国→NY→日本経由でA社に入ることになった。ここで初めてA社の資材に、今後、自営業者“マスターズ”の商号で受け付けてくれるかと要請したところOKが出た。
そうこうしているうちに、試作用シャーシケース、電源トランス、出力トランス、電源チョーク、真空管等の部品が送られてきた。
割とスムーズに試作機の組立も進み、動作させて、あとはA社に送り、土曜・日曜日にA社に訪問して、動作チェック、安定度試験、測定等をおこなった。
このあたりは割と精神的負担にならなかった。大変なのは量産設計部品表を作成することであった。各メーカーは部品がコード化されているから、コード表を照合しながら、すべて、書き込んでいかなければならない。A社はGE方式ということで、その方式の理解もしなければならなかった。特に、途中での部品変更は面倒であった。(どのメーカーでもそうであるが)
ほとんど毎晩、深夜まで作成業務に追われた。量産用の設計回路図は、T.Tさんが自前のパソコンCADで仕上げてくれて、この回路図をCAD業者に送り、A社のやり方に沿った回路に仕上げてくれた。
その出来栄えは!
設計事務作業をこなしながら、土・日はA社での音質検討作業に入った。ヒアリングスピーカーは例の通り、JBL4343であった。O.Fさんも同席してくれて、一緒の作業となった。初段管は5814A(軍用:SYLVANIA製)、ドライブ管は6FQ7(これもSYLVANIA製)、EL34はSOVTEK製でこれは資材入手の関係でこれしかないと言われ、変更できなかった。抵抗はリケンRM抵抗、ここまでは変更できず、あとはカップリングコンデンサ、動作電流の設定程度しか動かせるところが無かった。
出てくるサウンドはSQ38Signatureと異なり、割とクール、シャープなサウンドであって、どうやっても、この音調を代えることはできなかった。その原因はSOVTEKのEL34にあるように思えた。Golden DragonのEL34に代えてみると、暖かなサウンドになるのは確かめた。けれども、O.Fさんは割と満足していたように思えた。
私は、このパワーアンプは魅力的な価格にしても、真空管アンプとしての評判はどうかな?と心配であった。
一応の設計業務は予定どおり終了して、あとは、プリント基板用GTソケットの注文がマスターズにA社資材から入ってきた。最初は200台分の800個であった。航空便で送って貰い、納品した。中国製ソケットの品質はイマイチであったが、特にトラブルは起こさなかった。
このアンプはMQ30Sとネーミングされ、それほど注目されなかった。また、トラブルも一切なかった。おそらく、充分なスペースとすでに実績ある回路を採用したこと、SOVTEK EL34の品質が良かったからだと今も思っている。このアンプの生産台数は4桁にはいかなかった。その後、10年以上経った頃、中古販売店で視聴してみたが、それなりに充分なパフォーマンスを感じとることができた。
最近、検索して評判を眺めてみると、“どっしりした、中低域の豊かな、厚みのあるサウンドで満足”とのコメントがあった。
A社はその後、コンパクトな会社となって横浜地区に移転し、現在もアクティブに活動して、評判は良いと聞いている。そして、O.Fさんはその後、A社を退社・独立。B・Oブランドを立ち上げ、2.5年の歳月を掛けて、独自のハイテクノロジーを発揮して、超高級セパレートアンプを製品化。当初、新規、それも個人マイナーブランドはなかなか国内ファンには認めて貰えず、苦戦していたが、O.Fさんは海外、それもCES(ラスベガス)に出品し、高い評価を得た。以後、海外が主たる販売先のように見受けられる。
2012年には、ボブ・カーバー、ネルソン・パス、ジェフ・ローランドなどと共にアブソリュートサウンド誌ISS223号で、9人のグレイト・デザイナーに選出された。O.Fさんは日本オーディオ界の誇りと私は思う。
MQ30Sのプリント基板(表)
MQ30Sのプリント基板(裏)
2014年12月23日掲載
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