イシノラボ/マスターズ店長の連載
第1弾 日本オーディオ史
第70回 サンスイの最後に少しは花を添えられた! 前編
サンスイからお声が掛かる
突然、サンスイの技術部長からTELが入った。サンスイを辞してから、サンスイ社員の方々とはある程度の連絡は保ってきていた。
その方達からの情報によれば、三鷹と埼玉事業所を売却、さらには、杉並本社、静岡事業所をも売却。本社が茅場町の貸しビルに入り、工場は郡山だけになっていた。
サンスイを買収したデルモンテ食品のオーナーが逮捕されたりして、サンスイは香港資本グランデに転売されたかたちになっていた。従業員も1400名から300名程度に減っていた。
どうして、そうなってしまったのか?
LUX,デノン、マランツは外国資本下入り、ダイヤトーン,テクニクス,SONYは、本格的オーディオコンポビジネスをやめてしまって、オーディオ産業はシュリンクしていった。それでは、AVサラウンドの時代になったかというと、そうでもなかった。むしろ、ネット、携帯時代が進行していた。
あとから、振り返ってみると、オーディオコンポビジネスは米軍特需のようなチャンスがない限り、企業スケールはごく小さくて(100人以下)良いのだ。
さて、技術部長からのTELによると、この時期、本社は新横浜の貸しビルにあり、そこでお話したいと言う。
新横浜の本社に伺うと、すっかり、コンパクトな所帯であった。技術部長からのお話の要旨は、サンスイコンポの製品造りにアイディア等を提案して欲しいと言う。“それでは、サンスイと顧問契約になりますね!”と確認したところそうだと言う。
私は、協力したいと思ったし、それなりに時間は取れそうだった。“それでは、週2~3日程度、サンスイに通って仕事をしたいが、横浜では遠い!”と言うと、東京・麹町に東京事務所を設置してあるので、そこを勤務地でどうだろうか?と提案された。私は、サンスイの方達の雰囲気が友好的でもあったし、何とか、役に立つだろうと、顧問契約することとなった。当時、社長であったE・Kさんとも面会し、まずは1年間の契約をした。
さて、どうやって、どうするか?と思案しても仕方がないので、まずは、東京事務所に出向くことにした。
サンスイ東京事務所で仕事をスタートする
サンスイ東京事務所は、自宅最寄駅、京葉線・検見川浜駅から、新木場で乗り継いで、有楽町線の麹町下車3分の便利なところにあった。東京事務所は事務室,試作室,リスリングルームが揃っていて、きれいなビルで気持ち良い環境であった。しかも、そこには、かつての仲間、Y・Mさん、O・Iさんの二人だけの勤務地であった。Y・Mさんはすでにサンスイを退社されて、契約社員という身分であった。
お二人に久しぶりお会いして、これまでの積もるお話、今後の要綱とか、話に花が咲いた。そうこうするうちに、新製品“AU-α607NRAII”のプロモーションが話題となった。607シリーズは、DENON PMA-2000シリーズに安値攻勢を掛けられて以来、じりじりと後退するばかりであった。
具体的には、関西方面の有力店に出向いて、O・Iさんがプロモーションすることになった。私も同行することになった。
まずは、高松まで飛行機で行き、名物オーディオ店・糸瀬無線を訪問することとなった。糸瀬無線には、強力な販売マネージャー柳田さんがいて、彼が勧めるアンプをかなりの台数をかつて、売っていた。
私はそれこそ、15年以上過ぎての糸瀬無線への訪問であった。私も柳田さんもお互い年取ったが、柳田さんは元気であった。会ってお話しすると、オーディオの考えを話されて、相変わらずの柳田節であった。けれども、お店の雰囲気、品揃えは昔の勢いがなくなっているように感じられた。
柳田さんは熱心に話しを聞いてくれたし、持参したアンプも聴いてくれて、理解もしてくれた。
(それから、1年後?に糸瀬無線はクローズしたということを聞いた。)
高松からJRで大阪へ向かった。サンスイ大阪営業所を伺った。
セールスマンやサービスマンの数は減っていて、心なしか、全体的に元気がなかった。私たちは、大阪担当セールスの方と日本橋地区のオーディオショップ、3店ほど伺って、新製品“AU-α607NRAII”のプロモーションをおこなった。日本橋筋のオーディオ店もあまり元気がなかった。
そのあとで、大阪営業所の皆さんとミーティングしたが、口々にしたのは、“これから、どうなるのだろう?”、“売上が上がらない!”などであった。
当時、サンスイは特販部という営業部署があって、ゼネラルオーディオ商品も扱っていた。中国製の安物オーディオ品が主体であった。営業所の皆さんは、“今さら、安物を売ろうとしても、体制的に、体質的に無理!”と言っていた。
私もそう思ったが、やはり、コンポだけの売上ではサンスイの経営は成り立たない。具体的には、ゼネラルオーディオ品を売っても、安いし、品質がそれなりなので、不良返品が多く、うまくいってないようだった。
私は、少しへこんで、東京に戻った。
2015年 4月26日掲載
第69回 Rogersブランド真空管を販売しようとする |
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