イシノラボ/マスターズ店長の連載
第1弾 日本オーディオ史
第17回 次期モデルの商品作り
デザインと内部構造とレイアウトの検討
パワーアンプの回路が決まってきたので、全体の姿をどうすべきか。
少なくとも、工業デザインは607/707を踏襲することは、最初から、自信を持っていた。それから、30年以上過ぎた2006年の現在でも、最高なデザインと思っている。マットブラックの落ち着き、それにレッドラインの入ったノブ、ほどよい凹凸を見せるレバースイッチ群、思えば、1980年頃から、スイッチはプッシュスイッチが主流になって、アンプのフェイスがのっぺらした魅力ないものになってきたのを感じていた。レバースイッチは、メーカーが廃止するという。”分かっていないなー!”と嘆息しないわけにはいかなかった。次期モデルのネーミングはダイアモンド差動回路の頭文字Dを採って、AU−D907と決定した。これは関係者が集まって、決めるのだが、だれも異存がなかった。
さて、機構設計は100W×2と大きくなるので、607の奥行きを延ばすかたちとなった。電源構成は前々回述べたオーバルケミコン、電源トランスはパワーステージは大型トロイダルトランスの2電源構成、電源ブロックコンデンサはニチコン製カスタムのオーバルコンを4個を採用することにした。プリドライブ段、プリアンプ部はEIトランスによるサブトランスを配した。電源部は重く、大きく、かなりのスペースを取るかたちになった。
ヒートシンクは607/707に採用したチムニータイプだけでは放熱しきれないので、それにさらにフィンタイプのヒートシンクを付けて複合構造とした。シャーシは607同様、ブラック塗装を施した。内部シールドケースはすべてのブロックに実施した。この方向は他のメーカーのアンプにも流行した。
ニューパワーデバイスの採用
当時、鉄を使うとひずみがあり、良くないとされた時期であった。このことは、ひずみを物凄く測定出来るアナライザーが発売され、この測定器でいろいろな材料を測定することにつながった。この測定器は−140dB(0.00001%)までひずみを検出できる。そうなると、鉄に電流が流れるとこの微少レベルでひずみが検出出来たのであった。また、オーディオ雑誌で鉄は良くないという記事も見受けられるようになった。そうした時期、サンケン電気はLAPT(リニア・アンプ・パワートランジスタ)というマルチエミッタータイプのひずみの少ないパワーデバイスを開発したので、採用して欲しいという。確かに、試聴してみるとスムーズでかつパワフルなサウンドが出てくる。ダイアモンド差動回路とのマッチングも良さそうだ。そうこうしているうちにもサンケン電気はNM・LAPTというデバイスを作ってきた。勿論、当時はTO−3タイプであった。NMとはノン・マグネティックを示し、パワートランジスタのベース、カバーに非磁性体を採用したという。確かに磁石を近づけても、吸い付かない。しかし、そのためにベースとエミッター端子の強度が鉄ほど無く、力を加えると曲がるという、作業性の悪さがあった。しかし、早速このサンプルを原器アンプに取り付けて聴いてみると、さらに透明感を増し、分解能を増したようだ。AU−D907では100WなのでシングルPPでは電流的に無理で、パラプッシュプル構成になった。なお、このデバイスの欠点はコストアップすることであったが、これは、”サンスイが使うことで、宣伝効果があるから、まけろ!”ということを資材部が交渉してくれて、コストアップは最小限に止まった。
初段には、SONYの2SK97は悪くはないが、それよりさらにペア特性が良いとされるμPA68H(NEC)というデュアルFETが発売され、これを採用することにした。ダーリントンステージのデバイスも富士通の2SA898、2SC1903とリニアリティの優れたものが見つかったので、これを採用した。このデバイスは富士通がトランジスタ製造をやめたあと、以後、これに勝る中型トランジスタはなくなった。これで、パワーアンプ部に採用するデバイスは決まった。
フォノイコライザー回路の競作
当時では最高の音源と言えば、レコードからの音で、これを頼りにパワーアンプの音質検討をおこなっていた。その基礎となるフォノイコライザー回路をどうするかが決まっていなかった。607/707のフォノイコライザー回路は優れていたが、やはり、今聴いても、パワーアンプのグレードが勝って、ややバランスが悪かった。
当然、当時もどうしようかと悩んでいた。設計部・研究部と相談の結果、考えられる回路をすべて試作して、測定・試聴して決定しようと言うことになった。
全部で9種類くらいの回路で試作して、回路図を元に回路動作の解説などのレビュー(説明会)を実施して、そのあとヒアリング評価となった。このプロジェクトに関わった方は数名を数え、多忙の中、残業時間に頑張った。このレポートは25年以上過ぎた現在でも廃棄せず、また評価の良かった回路の基板ユニットは、まだ私は持っている。
さて、製作者の方々が息を呑む中で、ヒアリングした結果、トップはパワーアンプのダイアモンド差動回路を採用したフォノイコライザーであった。音楽の持つエネルギーを良く伝えてくれた。
他の回路で非常に美しい音質のものがあったが、売れるという観点から、その良さが店頭では理解されない恐れもあった。ブランドイメージとやらは恐ろしいもので、サンスイが美しい音を出せば、オカマぽく感じられることは充分予測出来た。(ヤマハだったら美しいサウンドで良かったのだろうが、サンスイではガッツやエネルギーがないと、だめだったと思う。特にJBLの代理店をやっていた期間は特にそう感じていた)
このコンテストは上記の結論で終了したが、採用にならなかった回路を担当したエンジニアの方々は少なからず、わだかまりが残ったようだ。それがその後、どうなったかは第20回あたりで顛末を記そう。
MCカートリッジへの適用
MCカートリッジの評価は当時のオピニオン・リーダー高城さんの記事が影響したせいか、高くなってきた。MCでなければカートリッジではないくらいの風潮が出てきた。さて、プリメインアンプでどう扱うべきか、MCトランスもあったが、アンプ内に搭載することはハムノイズを引くのではないかと、避けて、MCヘッドアンプを組み入れることがはやり始めた。AU−D907でも対応に迫まれ、FETをパラ接続して、ヘッドアンプを作り、組み入れることになった。このヘッドアンプの音質はそれほど気にしなかった。凄い品位の音質には成らなかったし、検討時間もそれほどなかった。評論家のお宅に伺っても、高級MCトランスからの出力を貰ってヒアリングテストすることが普通だった。要はプリメインアンプのヘッドアンプはおまけであったのだ。
これから、始まる音質検討
さて、これでAU−D907の回路、構造が決定したので、設計作業は順調に進んで、1978年の8月頃には量産試作が出来上がった。
これから、アンプに魂を入れる音質検討に入るのだ。発売は10月予定だったので、費やす時間はそれほどなかった。
音質検討では採用すべき部品、配線の引き回し、グランド回路の処理、細かい回路定数の検討などなどである。その経緯は次回のお楽しみに!
高橋暹氏からのメール
私が尊敬している高橋
T氏はダイアモンド差動回路のあとのXバランス回路の開発ではわたしの提案を真摯に聞いてくれて、その具体回路化に尽力した功労者であった。
さて、T氏のメール文を掲載しよう。
というようなより具体的なダイアモンド差動回路誕生の生々しい記述である。わたしもダイアモンド回路については、知っていた。クロスしている回路図とダイアモンドというネーミングは妙に気になっていた。
TIMについては第16回で述べたが、AU−D907をマーケットにリリースするときにまた重要なポイントになる。また、T氏はNFBの発明者ブラックさんとの件でも登場するキーパーソンである。高橋さんは、3年振りにTELでお声を聞いたが、お元気で、お互いに若ければ、また、一緒にプロジェクトを組むことをお願いしたい、魅力的な方である。
AU−D907
(上記の写真はAU-607.comの管理人様から許可をいただいて掲載させていただいております。)
2006年8月26日AU−D907写真掲載
2006年8月5日掲載
第16回 Dクラスアンプの黎明期にあったこと |
第1弾 日本オーディオ史 |
第18回 AU−D907の音質検討 |