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イシノラボ/マスターズ店長の連載

第1弾 日本オーディオ史

第18回 AU−D907の音質検討

AU−D907の音質検討開始

ずっと以前は社内に音質評価委員会なるものがあって、それをパスしないと生産に移れないし、販売出来ない仕組みになっていた。AU−607以来、このシステムは無くなった。

AU−D907の場合は、当時のサンスイではTOP機種となるので、その音質について、抜群の高い評価をとらなくては販売面において厳しくなることは明白であった。。

幸い、この時期、JBLスピーカー、とりわけ、高価な4343の売行がすごかったので、自社商品が多少売れなくとも、何とかしのげた。そして、海外向けの販売はまだPX(米軍基地向け販売)がベトナム戦争が終結してもまだ良く売れていて、会社の収益はこの部分でかなり支えられていた。トランスの販売は終了し、又再興する動きもあったが、オーディオクラフト業界のことを忘れてしまって、失敗に終わった。

そんな時期にAU−607/707でサンスイのアンプの勢いがついてきただけに、AU−D907に期待するところは大きかった。かつての人気機種、AU−9500のような実績をとることが望まれていた。

そもそも音質とは感性の領域だけに、音質検討することに意義があるのか?売れる音質とは何か?などと議論を始めたら、現在でも、結論の出ないオーディオの不思議なところである。特にオーディオアンプはエレクトロニクス商品であるから、そこに聴覚の問題が入ることもおかしいが、オーディオアンプはスピーカーをドライブするのだから、”聴いてナンボ!”の世界ともいえた。そのような、もやもやを抱えて、音質検討をおこなわなくてはならなかった。

実際に、ヒアリングにおいて、どのあたりを重視しているかは、各自の考え、嗜好もあるだろう。私がオーディオに関わったのは、祖父がコンサート・ピアノ調律師であったし、父母も音楽好きで、家には祖父の形見のバイオリン、マンドリン、父が買った2台の蓄音機などが周囲にあった。ミュージシャンになりたかったが、奏者としての才能がないのを自覚して、リスナーの立場から、オーディオに入っていったので、わたしの世代に見られるラジオ少年出身ではなく、音楽好き少年からのオーディオ入りであった。学生時代はWRの川西氏宅に出入りして、泊りがけでクラシックレコードを聴きまくったし、一緒に安いコンサートに行ったり、音楽好きの友達6人で、持ち回りレコードコンサートもやっていたし、母校のグリークラブでバッハなどのミサ曲なども唄っていた。従って、就職するまで、音楽と言えば、クラシック音楽一辺倒であった。

話が少しそれてしまった。そのような音楽的な素養とオーディオメーカーの社員としても立場をいかに矛盾なくあわせていけたかは、アメリカ出張時の強烈な体験があった。

NYにあるジャズファンには聖地と思われるビレッジバンガードに連れて行かれて、本場のジャズを聴いたときであった。日本では生録やレコードディングスタジオで、それなりのプロミュージシャンの腕前、サウンドは聴いていた。うまいなあ!さすがプロとは思った。ところが本場の音楽はうまいを通り越して凄い!の一言であった。特に黒人達のジャズには、日本音楽に例えれば、津軽三味線のような、自由自在、奔放があった。

日本ジャズマンは”お上手!”の域は出ないな!と感じた。日本ジャズマンが本場に行っても、ユニオンの問題もあろうが、基本的なところが違う。これはアメリカ人が来日して、津軽三味線や尺八を弾いても、外人にしてはうまい!ということと同じではなかろうか?

次には、LAでロックバンドの演奏を聴いた。物凄い迫力!完全に自分のモノにした音楽は、楽譜とか、そんなものは吹っ飛んでいる。

従って、サンスイのオーディオアンプは音楽の持つエネルギーをまずは充分に発揮する、それもサンスイが輸入代理店になっているJBLスピーカーでそうなるべきと確信して臨んでいた。Aさんも、TSさんもその大事なところでは幸いなことに一致していた。

また、一番の理解者は上司であった。上司の父上はギタリスト、弟さんは作曲家という、恵まれたDNA、環境で育って、オーディオ好きでサンスイ山水に入社したと聞いていた。

上司は、社内スタッフだけでは客観性が充分でないとして、社外有識者を招いて、一緒に検討することになった。そのお方は惜しいことに既に故人である。Aさんと呼ぶことにする。Aさんはスピーカーシステムの音質検討やサウンドバランスを採って纏め上げることは、プロといえる実績を持っていた。しかし、オーディオアンプについては始めてだと我々に正直に言ってくれた。

ヒアリングシステムの設定

音質検討場所は新たに三鷹の事業所内に三室のオーディオルームを新築したうちの、実質30畳くらいの第一試聴室をそれに当てた。スピーカーシステムはJBL4320を引き続き使うこととした。JBL4343は物凄い売れ行きで各オーディオ誌のヒアリングテストに使われる機会が多くなってきた。JBL4343はそもそもスタジオ用と言ってもプレイバックモニターであって、出来上がった音源を関係者に気持ちよく聴いてもらうことを目的として開発されていて、サウンド作り用にはあまり向いていなかった。4320はシンプルな2WAYで定位は明確だし、帯域のつながりもスムーズで、何よりもウーファ振動系が4343よりも軽いので瞬発力があった。(わたしはずっと、いまだに4320は手放せない。また、4320を4台使用、パワーアンプBA−5000(300W+300W)を2台使用して、新宿厚生年金大ホールの”渚ゆう子リサイタル”のSRに使用して、名ミクサー行方氏の腕の良さもあって、最高のサウンドを提供出来たのも楽しい思い出であった。)

さて、この頃から、スピーカーケーブルの重要性が指摘され始めていたが、特別な音質傾向を持つことはさけて、シールドケーブルタイプ、2スクエアーで5m程度のスピーカーケーブルとして使うことにした。当時はCDはなかったから、アナログレコードがプログラムソースであった。レコードプレイヤーのターンテーブルはテクニクスSP10MKII、トーンアームはVictorのものを、カートリッジはエンパイヤ4000DIIIを使うことにした。

さて、プログラムソースは何を使うか?私は最も聴き慣れているボーカルを含み、かつ楽器数の多いレンジの広いものが良いと思っていた。

従って、スピーカー設計時にはカーペンターズの“Close to you”を何百回も聴いたものだった。また、ジャズとJBLの相性も良いので“We get Request”も音質検討に使ったものだった。当時デビューしたばかりの岩崎宏美のアルバムもよく検討用に使った。

今度は何を主要なプログラムソースにするかについて、Aさんに伺うと、Aさんはアンドレ・プレビン指揮・ナレーションのブリテン作曲、“パーセルの主題による管弦楽入門”がA面、B面は“プロコフエフ作曲・ピーターと狼”を主に使いたいと言う。レーベルはEMI/エンジェルであった。

なるほど、上記の条件に合うプログラム・ソースを選ぶものだとまず感心した。

ヒアリング検討のスタート

スタートすることになったが、Aさんは日中は調子が上がらず、暗くならないと/深夜にならないと感性が鋭くならないお方であった。我々はサラリーマンであるから、翌朝は定時に出社しないと、本来業務が果たせなかった。音質検討スタッフはわたしとTSさん、それに機種担当設計者があたることになった。設計担当者は部内事情から遅くまで出来ないので、3人である程度、検討事項を決めて、そこで9時近くになるので、あとはわたしとTSさんがAさんを待ち受けることになる。

話がいろいろ飛んで申し訳ないが、メーカーの場合はいかに気に入ったサウンドが出たからといって、それがそのまま商品になるわけではない。まずは、品質、信頼性の面から問題ないか、特別な部品を採用する場合、その部品の信頼性はどうか、購入出来るか、原価アップしたらどう社内を調整するのか、いろいろと問題が起こってくるのであった。

具体的には、過渡応答波形の問題が起こった。このあたりのヒアリングはレコード面にカートリッジを下ろす瞬間のサウンドとか、ナレーションの語り始め、子音の切れ方など、で大体判断できるようになった。そのように回路を詰めていくと、NFB量、位相余裕などが音質検討によって、電気的応答が変わってくるのであった。具体的には10kHzの矩形波応答が抵抗負荷では、2.5波のリンギングが生じる結果になった。オーディオエンジニアならば、リンギングのない応答にすべく努力するであろう。我々もそのようにやってみたが、そうすると、元気のない、沈んだサウンドに何回テストしてもそうなってしまうのであった。わたしはスピーカエンジニアでもあったので、抵抗負荷でそのような努力は認めるがSP負荷でないのだから、ヒアリングを優先すべきと主張した。

周波数特性的には250kHz近辺でわずかなピークが生じていることが確認出来た。このことがアンプの容量負荷などのアンプにとって厳しい条件で発振しなければ、信頼性は問題なしとなって、アンプの抜群の瞬発力はキープ出来た。

Aさんとの検討が終了するのは夜中1時過ぎで、会社の車を借りて深夜帰宅、翌朝は5:30分に家を出て出社するようなことを繰り返した。

まとまらない文章をお読みくださって、感謝する次第である。次回は音質検討の続き、そして、評論家宅でのフィールドテストなどについてお話する。


2006年9月23日掲載


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