イシノラボ/マスターズ店長の連載
第1弾 日本オーディオ史
第28回 スピーカシステムの商品化
スピーカシステムに携わった背景
このところ、ずっと、アンプについて語ってきたが、アンプの続きは次回として、今回は少し話題を変えてスピーカについて記してみたい。
私は学生時代から、アンプに限らず、スピーカシステムを自分なりに作っていた。
そのこともあって、オーディオ会社に入っても、アンプについはてそれほど驚かなかった。そこで、「アンプに関係するなら、スピーカについても知らなくては」と、スピーカ設計を希望した。短い期間であったが、スピーカ設計部門で、量産設計、ユニット開発、音場解析などを経験できた。結果として、自分が作ったスピーカシステムはすべて廃棄することにした。それほど、プロのスピーカ設計はアマチュアと格段の差があったし、市販のスピーカユニットを集めてキャビネットに収めても、とても勝負にならないと思った。そうこうするうちに、サンスイのスピーカ部門は静岡(掛川市)に移転して、わたしはついていくことはできなかった。アンプ関係を担当しても、スピーカのことは気になって仕方がなかった。
スピーカシステムの商品企画と“SP―V100”の誕生
上司に無理を言って、スピーカの商品企画も受け持たせてくれる期間が数年あった。
サンスイはいつの間にか、ガッツあるサウンドから、静かな、しっとりしたサウンド傾向になって、オーディオ的見地からは、クラシック音楽には非常に合っていた。それはそれでよろしいのだが、サンスイのブランド・イメージからはクラシック音楽に向いていることはプラスとはならなかった。“ナチュナル・サウンド”を標榜していたYAMAHAブランドがクラシック音楽には人気があったし、当時、郡山市にあったダイヤトーン・スピーカには、はるかに水をあけられてしまっていた。
困っていたところ、スピーカ設計部長から、新素材を開発したという連絡を受けた。早速、掛川に飛んでいくと、新素材とは、振動板材質のことであった。
その新素材とは、プリプロピレン系の素材であった。プリプロピレン振動板は、BBC研究所で開発したもので、ポリプロピレンは内部損失が大きいので、振動板自体の癖が少なく、素直なサウンドである。欠点は振動板が重くなることであり、接着性が悪く、ボイスコイルとの接着は接着というより、粘弾性でくっ付いているようなもので、どうしてもサウンドはおっとりしがちであった。そのようなサウンドはアルテック、JBLなどのサウンドと対峙するもので、その意味では愛好者、評価する方も多かった。現在でも、イギリス製のスピーカで、スペンドールあたりでは、ずっと採用している。
さて、今度の新素材とは、プリプロピレンに30%マイカを混入して、材質の強度を上げ、プリプロピレンの長所を残しつつ、比重を小さく、音速も早いことにメリットがあった。
試作品を聴かせてもらうと、そのサウンドはあばれも少なく、かつ、ガッツさもあった。これなら、これまでのおとなしい路線から、活力ある方向へ行けると直感的に感じた。
すぐ商品化を計画することにした。当時(1981年頃)は、¥49,800で3WAY方式という利益なき競争をしていた。再起するには、このような激戦区を避けては無理と判断して、この価格帯に商品開発することを上申した。幸い、その企画案は許可されて、商品化設計がスタートした。新素材のネーミングは、いろいろ考えたが、2つの素材で成り立っているところから、“バイ・クリスタル”とした。
システムの構成は27cmウーファ、11cmミッドレンジ、ここに“バイ・クリスタル”材を採用して、ツイータは25mm、ハード・ドームとした。
商品の開発は、“うまくいっているとうまくいく”のであって、再出発となると、まず、スピーカユニットのフレーム(海外ではバスケットという)の金型から興さなければならない。
ウーファ、ミッドレンジ、ツイータとも、アルミフレームにすることにしたので、3個のフレーム金型に、更に振動板の金型も必要となり、金型費だけで、当時で、数百万円となった。
また、製品となれば、工業デザインも必要だった。静岡(掛川)事業所のスピーカ部門の設計者達は頑張って、何度もヒアリングに出かけて、聴かせてもらって、マーケットに出して、売れそうなサウンドとなってきた。売れそうとは、サンスイブランドとして、パワフルであること、けれどもきついサウンドではないこと、ステレオ音場がうまく再現できる水準になった確信できること。評論家さん、雑誌社などの、外部の方に聴いていただいても、評判は良く、大阪、日本橋のオーディオ店にもサンプルを持参して、聴いていただいたが、これも良かった。問題は価格設定であった。当時、激戦価格帯で利益なき商売をオーディオ各社は行っていた。このような戦いに参入することは忍びなかったが、まず、マーケットで認知されなければどうにもならないと判断して、企画案どおり、¥49,800の定価を申請した。
原価計算書を見て、さすがに各役員は承認をためらった。最終的には、社長決済となった。呼ばれて、説明して、損を覚悟で売れ行きを取り戻したいことを力説した。
決済は下りた。その決裁書には、“絶対ヒットせよ!”と大きな字体の社長の檄が書かれていた。
最近、ケーブルで大活躍されているお方も、宣伝部長の立場から、広告・宣伝で協力していただいた。営業部門もプロモーションや商談に頑張ってくれた。わたしも、しばらく、アンプのことは忘れて、スピーカの仕事に奔走した。そのスピーカには“SP―V100”とネーミングした。
この新型スピーカシステムは、振動板の形状、ネットワーク回路、部品、内部吸音材の扱い方にノウハウがあった。吸音材で、低域の定在波の防止はまず不可能、むしろ、振動系の等価質量のコントロールにある。定在波の防止はキャビネットの形状、また、B&Wがやっているような内部マトリックスは効果がある。もちろん、バスレフ方式であった。
次回は、また、アンプの話に戻す予定です。お楽しみに!
2007年10月7日掲載
第27回 スーパー・フィードフォワード搭載アンプの商品化 |
第1弾 日本オーディオ史 |
第29回 AU―D607F,AU―D707F,AU―D907Fの誕生 |