イシノラボ/マスターズ店長の連載
第1弾 日本オーディオ史
第51回 新会社の設立とdbxセパレートアンプの生産
オーディオ産業の不況
1982年のCD登場がオーディオ産業の建て直し材料になるかに見えたが、数年でCDプレーヤーの売上は頭打ちになった。また、アナログオーディオ、とりわけアナログレコード関係のブランド(グレース,,FR,SUPEXなどなど)は次第に消えていった。また、大手オーディオブランドの業績も芳しくなくなってきた。
サンスイでは社内事情から、工賃が他社に比べアップして、原価を圧迫するかたちとなってきた。主として、アンプについては合理化設計によって、かなりの材料費や工数の低下を実現できたが、それでも収益の厳しさは増すばかりであった。当時は1,500人程度の従業員がいた。それを300人程度縮小して、1,200名体勢ということも計画されてきた。それでも営業黒字を出すには、かなり困難な状況であった。もちろん、円高と、対米輸出の頭打ちがあり、早くも海外生産を模索する動きも出て、サンスイでは台湾に合弁会社を作って、製造原価の低減という動きも出てきた。
社内の空気は沈滞ムードが濃くなってきた。
自主委託生産の話 そのはじまり
そうした折、数年前からお付き合いのあった海外ブランドの輸入商社のH部長さんから、dbxブランドで、パワーアンプ,コントロールアンプを設計・生産できないかという話が持ち込まれた。納品先はおそらく米軍(px)向けになるという。生産台数規模は1,800ペアくらい、金額にして2億円くらいとのことであった。
まずは、秋の機種選定会が横田基地でおこなわれるので、そこにデザインスケッチを出してみないかという。ダメもとでやってみようということになった。
何とか、やりくりしてデザインスケッチと仕様等の資料を用意できた。商社を通じて提出したところ、パスしたという。
そうなると、翌年の5月頃には初ロットを納品する義務がある。代金の支払は相手が米軍だけに問題ない。いよいよ、自分を追い込んでいく形になってしまった。H部長さんは、大変男気のある方で、判断も人間性を信用するというという方であった。
ここで断ったらH部長さんの面目は丸つぶれになってしまうし、私としても、チャンスと捉えてアクティブに動こうと決心した。
主に、同期の仲間を中心に、事情を話して協力をあおぐこととした。幸い皆さん賛成してくれた。そうなると、サンスイを辞して会社を設立して、受け入れ態勢を用意しなくてはならない。そして、生産委託会社を探さなければならない。幸い仲間のNさんが、当時埼玉で新進気鋭の青年実業家のMさんを紹介してくれた。一緒にMさんに会い、事情を話すと、協力しようと言ってくれた。
この会社はF電子(株)と言って、当時、始まっていたプリント基板の部品自動挿入業務を大規模にやっていた。また、部品挿入されたプリント基板を自動的に検査する機器の開発・製作も手掛けていた注目会社でもあった。
協力とは、具体的に言えば委託生産を引き受けるということであった。このことに仲間一同は歓喜したが、F電子(株)は本格的なオーディオ機器を生産したことがなかった。
生産場所は、ベルトコンベアを設置し、測定器や検査機器を備えれば何とかできるかもしれなかった。問題は、部品の購入であった。
大手上場企業ならば、信用はあるから部品メーカーは販売してくれるし、価格もサンスイ納入価格と大差ない。ところが、F電子は生産実績もなければ部品メーカーとの取引もない。
そのような危惧をいだきながら、私と仲間は、共に次々とサンスイを去るかたちとなって新会社を設立する方向に動き出した。各人、退職金をつぎ込んで、資本金¥2,000万でCTSという名称の株式会社を設立した。
当時も今も、サンスイ自体のブランド、これまでの歩み、自分達を育ててくれ、意義ある人生にしたいと思うところで、存分に動けたことは大変ありがたいことと思っている。いずれ、サンスイとその方達と終生のつながり、仲間意識でいられるような気持ちでいた。
会社経営の素人が創り上げたあぶなっかしいCTSも、多くの仲間の援助がなければ存在しえないことであった。
dbxアンプの納入日程が決められているので、会社設立して、さらに生産準備で多忙を極めたが、まずdbxブランドの試作機(サンプル)を作って、所定のSPECとパフォーマンスを発揮できるかを最も確認しなければならない。
dbxとは
その前にdbxなるブランドはいかなるものであるかを簡単に記してみたい。
創業者David BlackmanDavid Blackmerは、ノイズリダクションに大変な興味と情熱を持っていた。
当時、ドルビーの優れたビジネスセンスでライセンス方式を確立して、ドルビー方式を採用すればドルビーさんにはライセンス料が入るような世界組織を創り出し、まずレコーディングスタジオに採用され、その実績がカセットにも採用されてしまった。
ノイズ低減メリットはそれなりにあったが(10dB以上)、BlackmanBlackmerさんは、さらにノイズを低減できないかと研究して、dbxシステムを創り出した。そのノイズ低減効果は最大30dbに達した。確かにその効果は凄かったが、実際に使ってよくよく聴いてみると、ブレーシング(息継ぎ感)が感じられて、充分満足とはいかなかった。それでもある程度のプロ業界や高級オープンデッキに採用された時期もあった。そうしているうちに、BlackmanBlackmerさんは、数年後dbxブランドを売って、田舎に引っ込んで引退してしまった。ブランドを買ったのかどうかは詳しくは知らないが、あとを引き継いだ技術者達は、ユニークなオーディオ機器を開発、商品化した。
例えば、サブ・ハーモニックシンセサイザ(入力された最低音の1オクターブ下の音を出す)などユニークであったが、オーソドックスなアンプは無かった。このセパレートアンプはそのあたりを突いた企画であり、幸い、アメリカ人にはdbxブランドはそれなりに浸透しているようだった。
先に記したように、納入日程が決められているので、会社設立で多忙を極めたが、その中で、dbxの試作機(サンプル)を作って、所定のSPECとパフォーマンスを発揮できるかを最も確認しなければならない。
試作サンプルの作成、そして、部品材料の入手
まず、パワーアンプは120W×4構成で、いち早くAVサラウンドを実現できるようにした。さらに、スイッチ切り替えで300W×2の2chステレオアンプとして動作するようにも、さらに、120W×2,300Wと2.1chサラウンドアンプとしても使えるように工夫した。そして問題となる4Ω負荷対応には、アンプの電源電圧を切り替えて、トランス,ヒートシンク,トランジスタの限界を超えないように工夫した。
パワーメータを装備して、ピークパワーを直読するようにもした。両サイドにはウッド板をつけた。でき上がってみるとデザインスケッチとほぼ同じか、それ以上迫力ある格好になった。
プリアンプは、ヤマハC−2のように精悍さよりもサイドウッドを配したことによって、家具調の横長スタイルとなった。(詳細は、取扱説明書の写真を掲載するので参照ください。)アンプ回路は割り切ってOPアンプを採用し、ビデオ回路はビデオ切り替えICを採用することにした。このプリアンプのユニークなところは“多機能”であり、これらはプッシュスイッチで可能とした。この工夫は依頼先のT氏の進言であり、かつ、切り替え回路を提案してくれた。このときの経験で、アンプ切り替え回路の設計には強くなった。
セパレートアンプとして、この2台を並べてみると、けっこう様になった。
これら作業は、借りたばかりの狭い事務所兼工房でおこなった。
問題は、試作品ができても、まず性能テスト、とりわけ、連続動作試験が必須であった。テストするには、山水社内なら、品質保証部に頼めば十分過ぎるほど丁寧に正確にやってくれた。独立したからには自分たちでどうにかしなければならない。
困ってF電子社長にお話しすると、F電子社内でやっても良いと言ってくれた。さっそく持ち込み、テストしようとしたが、試験設備はない。そこで、オシロスコープ,電圧計,発振器は我々が買って用意した。試験に必要な恒温槽はすぐには入手できないし、資金も乏しい。そこで、自分たちで試験箱を作って試験した。低温試験は省略して、まずは常温での連続試験をおこなった。UL規格に準拠して最大パワーの1/8で連続動作させた。要は、パワートランジスタの接合部温度が150度を超えないことであるが、実際にはパワートランジスタの足で120度を超えないことであった。
その温度の確認には、多チャンネルの連続温度計が必要であった。乏しい資本金の中から、中古温度計を買ってきた。試作品アンプは、発熱してヒートシンクは90度を超えるほどになったが、何とかクリアできた。
段々とこのプロジェクトは進行してきたが、問題は、どう部品を入手するかであった。
山水在籍時には、部品メーカーさんは大歓迎してくれて、工場見学なども経験させてくれた。いったん山水の後ろ盾がなくなると、そこはビジネスであるから、こちらから頭を下げて頼み込む立場にならざるを得なかった。
まずは電源トランスが問題であった。大容量のオーディオ用トランスは、当時、山水,デノン,アキュフェーズ等に納入していた日本捲線(株)しか、CPの高いトロイダルトランスが無かった。幸い、この会社には山水で取締役技術部長であったI氏(故人)がおられたので、連絡を取ると、とにかく来いと言う。
所沢のはずれにある日本捲線(株)は所沢駅から遠いが、お金をセーブして、とぼとぼ歩いて訪ねた。
表向きはビジネスライクであったが、トランスの仕様の打ち合わせをおこなっていくと、何とか助けてやろうという姿勢が感じられて、思わず目頭が熱くなっていたのを覚えている。限られたスペースに、800VAを超える電源トランスをシャーシ内に収納することは大変と思われたが、何とか、量産してもOKとなる設計をしてくれた。一番問題となる支払条件も割とゆるやかにしてくれ、単価も山水納入並にしてくれた。
その後もI氏の自宅に招かれて、新型トランスのテスト等を一緒にしたりして、とても有意義なお付き合いができた。
次は、電源用整流ケミコンの入手であった。通常品ではなく、音質の良い特注品を安く入手する必要があった。ニッケミ,ニチコン技術陣は協力姿勢があったが、営業的には、我々に対する信用力の点には“?”があったと思う。そこで、営業責任者と仲が良く技術者とも親しかった日立コンデンサに頼むと、喜んでいろいろな音質のサンプルを作ってきてくれた。価格も安くしてくれて大変嬉しかった。機構部品は機構担当設計者のH氏が人脈を辿って手配できて、シャーシ,ヒートシンク,つまみ等心配はなくなった。
こうして、苦労しながら部品の入手は可能となった。
そして、受け入れ側の問題はF電子の資材部門であった。F電子では、これまでオーディオ部品と言えば、抵抗やコンデンサくらいで、アンプ用部品を買い入れたことがなかった。資材担当はF氏であったが、オーディオ部品の知識は皆無であった。1点ごとに部品の内容を説明して、一緒に立ち会って会得してもらった。F氏は大変几帳面で努力家で、短期間で理解してくれた。F電子(株)にはdbxプロジェクトなるチームが作られてきた。
山水電気は、香港資本に買い取られて、ここ10年ほそぼそと上場が継続されたが、この稿を書いている2012年4月2日に、会社更生法が受理されて、とうとう消滅することになった。
これからは、サンスイから離れてのオーディオ界を見るお話となります。ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
dbxのセパレートアンプ(プリアンプ)の取扱説明書
dbxの内容について、創業者の名前に誤りがありました。
David Blackmanではなく、下記のようにDavid Blackmerが正解です。訂正して、お詫び申し上げます。
また、David Blackmerはその後、下記に示すようにEarthworkをおこし、今や世界的に評判の高いマイクロフォンメーカーの創業者でもあります。“創業者はdbxを売却したあとトラクターを買って農業三昧をする”と、dbxを買収した側の技術部長が言っていたのを、私がまともに受け取ったようで、それは彼のジョークだったのかもしれません。
下記はその会社のサイトからの引用です。ご指摘くださったI氏に厚くお礼申し上げます。
Earthworks® was formed by David Blackmer, the brilliant inventor and founder of dbx™?, where he invented new technologies in VCAs and true RMS detectors for companders and compressors.
2012年4月8日掲載
2012年7月7日訂正
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