イシノラボ/マスターズ店長の連載
第1弾 日本オーディオ史
第55回 委託設計業務に携わる
サポート会社の破綻
資本参加してくれ、dbxアンプを生産してくれた(株)F電子の経営が行き詰まった。
この会社は非常にアクティブで、IC検査装置等をいち早く製品化するなど有望な会社と思えた。具体的には、新工場を工業団地に建設して、前途洋々と思えた。
今となっては本当かどうか定かでないが、新工場のこけら落としに集まった方々への来賓挨拶が当時の国会議員の奥様がトップで、次に主要納入先の大手N会社の資材部長さんの挨拶が2番手になって、其の方が激怒して、それからの注文が厳しくなったとの噂を聞いた。今でも、このような親会社、下請け会社との関係はあるだろう。大手N会社とすれば、これまで大きく成長させたのは俺たちだという“上から目線”があったのだろう。
以後、(株)F電子の業績が厳しくなってきたようだ。そして、ついにその日がやってきた。(株)F電子は、会社更生法適用も困難で、会社整理となって消滅してしまった。
我々CTSは、この時点で独立してやっていかなくてはならなくなった。
委託設計業務に携わる
山水時代からの人脈の方の推薦もあって、大手、一部上場のオーディオ専業会社の設計委託業務を引き受けることになった。東京の西のほうにある会社で、仮にA社と呼ぼう。この事業所には1000人以上の従業員がいて、会社建屋は大きく、食堂は広く、明るい環境にあった。委託業務と言っても、この事業所で仕事をやってくれということで、実態は派遣業務であった。当時はバブル時期だったので、委託設計料金は現在よりも高く、バブル崩壊後の日本は成長なく、工場の海外移転ばかりで、国内経済、とりわけ地方の雇用が公務員、公共事業以外なくなったというのがその原因であろう。どのような国も成長し、やがて成熟し、衰退していくのだろう。
私は、貧しい日本から発展してバブルを迎え、その後の衰退の渦中にあることは、意味ある人生なのかも知れない。とにかく、若い方は本当に、生きていくのは大変だと思う。(そう言う私も全くリッチでない!)
話がそれてしまった。戻すと、受け持ったアンプは70W+70Wのプリメインアンプであった。アンプ設計のチームリーダーは、母校の後輩で、何とも複雑な気持ちになった。A社の量産設計方式は、アンプ回路がすでに提示されており、それを量産にするための設計作業であった。デザインはブラックパネルで、サンスイアンプほど重量感はなかったが、そのフロントマスクは精悍なおもむきがあった。
A社の設計方法は、プリント基板の設計に注力して、基板内のジャンパー線は原則として排除して、プリント基板に電源回路、増幅回路、付属回路まですべてを入れ込んでしまう。この方法だと性能が安定して、さらに製造コストが安くなる。
基板のパターン作図は、当時、A社だけがおこなっていた反転パターンで、銅箔を切り裂いていく方法で、こうすると、プリント基板のエッチングの際、銅箔が解ける量が少なくなると言うメリットがあった。但し、部品を付けてハンダを流すと、プリント基板が反り返る傾向が強かった。(その後、A社は通常の導通パターンを優先する方法に変更した。)
当時でも、プリント基板の設計は従来のように2倍の大きさで、設計者が方眼紙にパターンを書いて貼り付けて原図を作り、写真撮影してプリント基板のフィルムを作ることをやめて、コンピュータによるCAD設計に移行する時期であった。
具体的には、方眼紙に設計者が2倍の大きさでプリント基板の下図を書き、それを専任の女性オペレーターが大型コンピュータ(当時、図研CR2000が普及していた)に入力する方法であった。入力作業が終了すれば、プリント基板の設計資料はデジタル化され、プリント基板会社にデジタルデータ(ガーバーデータと言う)として送られ、そこでプリント基板の製版が自動的におこなわれ、以前のように、原図を写真に撮り、製版するという工程は無くなってくるのであった。現在では、パソコンによるCADソフトが発達して、多層基板も誤りなく設計でき(回路チェック機能)、同時にパーツリストが発行できるようになっている。このデータを資材部門に送れば、発注業務はコンピュータ化されるのであった。
当時は、まだその草分け時期であったが、回路図をCADで書くと、パーツリストが自動的に作成されてきた。同時に材料費も集計されて、決められた材料費をクリアできているかも、すぐ出てきた。確かに、いわゆる設計事務作業は大いに進歩したが、其の分、量産設計者に負担が強いられ、本来の設計作業に時間が取れない実態があった。
とにかく、1次試作の基板ができ上がった。これから、1次試作アンプを5台作ることになった。従って、基板セットとアンプ搭載する基板、合わせて6台分の基板セットを、設計者が中心となって作ることになった。
1次試作であるから、プリント基板への部品の取り付けは手作業である。とても1人ではできないから、CTSの社員のヘルプを得て、5人がかりで、基板に懸命に部品を取り付ける。その順序は、まずジャンパー線を差し、次にダイオード、抵抗、コンデンサ、トランジスタ、FET、スイッチ、コネクタ等の機構部品を試作パーツリスト見ながら、手分けして作り上げる。こうして、設計者自ら、その出来具合を体験しながら設計作業が進行するシステムであった。この作業は自身で、隣接部品間隔が充分OKかどうかのチェックになった。
A社では、プリント基板に部品を差したら、半田漕での半田付け作業も設計者にやらせる(やらせてくれる)。片面に銅箔が付いているから、片面が熱せられれば、当然、銅箔面が膨張してプリント基板が反りかえる。反らないように、プリント基板を平面に保つ治具をつけての半田付け作業で、ちょうど、てんぷらを油で揚げるような感覚であった。
そのあとは、プリント基板に刺さった部品足のカットであった。A社の試作室には機械式のカットマシンがあって、一気にカットできた。1本ずつニッパーでカットしていては、6台分となると大変だった。
このような作業は、当時の3年くらい前は、小規模な業者が、内職する方に差し作業をやらせ、集めて、業者が半田付けしていたが、雇用面からみると、それなりに意味があった。その後は、CADによるプリント基板設計と部品インサートマシンとの組み合わせで、すべて機械化されてしまっている。(2000年以降は、部品自体が表面実装部品となって、インサートマシンも無くなってきている。)
このように、始めから設計者自身が1次試作品を作るシステムは他のメーカーもやってはいるが、ここまで徹底してやることは意義あることであったと思った。プリント基板ユニットができ上がった頃に、電源トランス、ヒートシンク等の大物部品、シャーシ、ケースの試作が入ってきた。
試作品の材料費は、量産に比べ、金型を使わずに手作業で試作するので、コストは相当掛かる。特に、フロントパネル、リアパネルも加工してシルク印刷するのだから、試作するメーカーは、その後量産注文が来ることを想定して、サービス価格にしてくれるにしても、試作アンプを作る費用は相当掛かる。
このプリメインアンプでは、5台作って単価が¥60万以上と推測された。(定価は@¥69,800の予定であった。)
作り上げた試作アンプは、配線等の目視チェックをして、あとは通電して測定である。驚いたのは、A社ではいきなり100V電源を印加することであった。試作であるから、チェックが行き届かず、試作アンプが壊れてしまうリスクは大きい。サンスイでは、電流計付のスライダックで徐々に電源電圧を上げていくので、異常な大電流が流れそうになれば、すぐ電源電圧を落として、試作アンプの不具合、ミスを追究して、パワートランジスタ等の破壊リスク等を避けることはやっていた。(いろいろ業界を調べてみると、サンスイ流の動作テストを行うのはパイオニアくらいで、他のメーカーは、いきなり通電方式らしい。)
それはそれとして、幸いにも、通電してみて試作アンプは動作した。各部の電圧、電流は設計値どおりであるか、抵抗が消費する電力は充分余裕があるか等、チェックリストに書き入れていく。ひととおりチェックリスト項目を済ませたら、静特性の測定である。まず、アイドリング電流を規定値近辺で、充分なひずみ特性が得られるか?ひずみ率計は、当時、各メーカーが使用していたHP4343が使われていた。
このようにチェックされた試作機は、品質保証部門に回され、各種チェック、テストを受ける。
今度は、設計者は温度サイクル試験を行うことになり、常温、+50℃、−10℃、と恒温槽に入れて、各部の温度試験、発振テスト等をおこなう。このような手順は、どこも大手メーカーはおこなうことであるが、A社の場合、設計者がやることが多く、日程的な要求も厳しく、結構厳しい仕事と感じた。特に、オーディオアンプは低温時に動作が不安定(発振等)になることが多く、低温時動作試験は重要である。
こうして1次試作を何とかクリアすると、次は、2次試作は工場がおこなう。A社の場合、長野県の駒ヶ根工場でおこない、設計者は、でき上がった頃に、そこまで出張して、立ち会う仕事があった。
そうこうしているうちに、品質保証部門からチェック結果が次々と送ってこられ、対策を打たないと量産設計スケジュールを守れないことになる。これも、A社にそぐわない不具合の対策を取ることは、サンスイと違う見解もあって、結構多忙であった。帰りは21時過ぎの電車に乗って、帰宅は24時近く、出勤は6時15分という激労働が続いた。また、土曜日出勤も結構あった。
私としては、その余裕のなさが、ハイエンド・オーディオとして魅力あるアンプができるのか?という点で、疑問であった。どこも社風、社内風土があるので、今となっては何とも言えない。
A社のパワーアンプ回路を見てみると、差動2段増幅回路は常識どおりであったが、終段のダーリントン回路にはベース抵抗、トランスジスタBC間の少容量のコンデンサ(33〜39p)が全く入っておらず、安定度の面、とりわけ、負性抵抗が発生しやすいのではないかと気になった。(サンスイでは、4.7〜10Ω、39Pが必ず入っていた。ダイアモンド差動回路では、安定度確保に390Ωとパラに1000pの進相回路を入れていたが。)オシロで見ても、波形がきれいであるから問題なしとしているようだったが、SEPPの負性抵抗発振は100MHz付近で発生するので、通常のオシロでは観測できない。
そのほかには特に問題はないと思ったが、コストダウン意識は徹底されており、現在も上場企業であるから、そのあたりの厳しさがA社の継続性の秘密を見たようだった。
結局、このプリメインアンプの量産設計業務は、一度も、このアンプのサウンドは聴くことなく、設計完了回路図に私のサインを入れて、7か月の仕事は終わった。そのあとの仕事の依頼があり、CTSのスタッフが対応して、A社との関係は長く続いた。
私のほうは、次は、スタッフがA社でうまく働けるようにサポート役に回ったが、その1年後、今度は、何とカラオケアンプの仕事が回ってきた。1990年頃の話である。
今回は、あまり面白くない量産設計の話に終始したが、大メーカーは製品のコスト、安定度確保(販売してからの不具合等)に力点をおいており、そこから出てくるサウンドはある程度の範囲でやるしかない厳しさがある。
まだ、つたないお話は続きます。他の会社のアンプ設計の話もあります。会社が違うと、やり方が違う、興味あるところです。
2013年 3月14日掲載
第54回 優秀なエンジニア,VIP,新技術に巡り合う |
第1弾 日本オーディオ史 |
第56回 いろいろなオーディオアンプに引き続き携わった良い経験 |