イシノラボ/マスターズ店長の連載
第1弾 日本オーディオ史
第54回 優秀なエンジニア,VIP,新技術に巡り合う
アルバイトさんから、有能な人材が集まる
(株)CTSが発足して、マンパワーが不足してきた。急に従業員を増やすわけにもいかず、アルバイトさんを雇うことにした。当時は、日本の経済状況はバブルに入りかけていたこともあり、アルバイト誌のフロムAは活況を呈していた。
そうかと言って、オーディオ界はCDブームで少し潤っている程度で、振るわない産業分野であった。
アルバイトを募集したところ、2名の3年生、工学部学生が応募してくれた。一人は、日本工業大の電気工学科、彼はイケメンで、すでに彼女のお弁当を作らせているモテようであった。仕事ぶりは、オーディオ系には少しミスマッチであったが、誠実に働いてくれた。親元が自営であったので、そのあとを継ぐようであった。
もう一人は芝浦工大の3年生で、電気工学科であった。会って、何か運命的な感じがした。彼の第一声は“もう少し早く生まれてきたら、もっとオーディオにのめり込めた!”だった。私も、そうだと感じた。
最初は半田付けによる組立であったが、楽々こなした。回路図を見せれば、すぐ試作機を組み立てることができた。
オーディオをやりたくてやりたくて仕方がないように思えた。
せっかくであったから、サンスイにまだ在籍していた横手さんに会社(東中野)に夜間来ていただいた。ちょうど、発振安定度が問題となるアンプがあった。
横手さんの発振安定度の探り方は医者のようで、プリント基板に触ったり部品に触ったりしていて、その出力波形変化をオシロで観測して、安定度を診ていた。手で触ることによって、プリントパターン、取り付けた部品の浮遊容量が変化し、微妙に発振が出る可能性を探っていたのだと思う。その光景を彼(H・J君と呼ぶ)は観て、感激した様子であった。
H・J君は、すごく熱心で、4年生になって学業に多忙になってくると、弟(同じ大学の2年後輩)をアルバイトによこした。弟君はオーディオには兄貴ほど興味がなかったが、確実な仕事をしてくれた。弟君は、アキュフェーズ、松下電子の両方に内定した(それほどのバブルであった)。彼は松下を選び、超音波診断器の開発メンバーとなり、現在も年賀状をやりとりする間柄である。
さて、兄貴のほうは、実家が横浜であったから、パイオニアの大森工場を希望したらそのとおりとなった。卒業後、就職して1年後くらいになって横浜(保土ヶ谷)の実家を訪ねたところ、彼の部屋はオシロをはじめとする測定器でいっぱいであった。
彼は、私に“JBL4320を譲って欲しい!”と言う。このころ、私は4320が気に入って2台の4320を持っていた。妻からは、2台は多すぎるということで、早く始末してくれとも言われていた。“それでは仕方がない!”と、彼に4320を譲った。さらに、CTSで開発した、プロ用4320 MOSFETパワーアンプを買いたいと言う。ちょうど仕掛品があったので、大サービス価格で買って貰った。
次に、H・J君の実家を訪問したときは、すでにアンプ設計者として1人前になっていた。 “私が書いたプリント基板ですよ!”と彼は誇らしげに見せた。パイオニアのプリント基板のレジスは通常のグリーンでなく、ブラックであった。導電性が無い塗料は使っていたと思うが、カーボン系であれば、少しは静電シールド効果があったと思う。
当時のパイオニアはExclusiveシリーズが終わりかけていたころで、まだ若手の彼には出番が回ってこなかった。
それでも、しばらくして、“結婚します!”との招待状が届いた。奥様はパイオニアの社員とのこと、結婚式披露宴に参席させていただいた。
しばらくして、大森工場はTV開発センターになり、アンプ部門は所沢への移転となった。
そして、H・J君のメイン担当は、システムコンポのアンプ設計であったと言う。彼は少し不満そうであった。その有り余る能力を持て余しているように思えた。そうして、“トラジスタ技術”にDクラスアンプの解説や、検討結果の記事を書くようになっていった。
段々と高レベルの記事になっていった。
そうして、しばらくして彼に呼び出された。夜間であった。“シンガポールの設計センターに行くかも知れません!”と、彼は切り出した。一応、係長待遇とのこと、シンガポールなまりの英語も覚えられるから良いのでは!と私は応じた。
“でも、3〜4年経って、帰ってきても展望がない”と言う。“パイオニアは大会社であるから、つぶれることはないし、これから映像方面に出ていくから、その方面に関心が向けられるなら、それが良いのでは?”と私は言った。
“オーディオに興味があり、それを捨てる気にはならない”と言う。
“それなら、これからはDクラスアンプにしか、オーディオアンプの新分野しかないから、その方面を目指したら”と応じた。
“国内にDクラスアンプを開発する部門はありますか?”と聞かれると、SONYはそれほどの水準ではないし、シャープ(広島)が早稲田工学部と“1bit研究会”を開催している程度あった。それでも、海外ではDクラスアンプ用ドライバーICが販売始めそうな気配があった。
“Dクラスやるなら、海外かな?”とも言ってみた。
彼も考えているようだった。アメリカでは“トライパス社”が設立されていたし、MOSFETで最先端を走っていた“IR(アメリカ)”も有望と彼は言った。
私は、オーディオを続けるならDクラス関係が有望と思った。
H・J君は決心したようであった。
しばらくして、H・J君からTELがあった。“海外に行くことになりました!”と切り出した。“どこの会社?”と聞く私。“IRに決まりました!”と言う。
IR社はMOSFETの開発で著名な半導体会社であった。
“LAでの面接も済ませた”、と言う。“そうなると勤務地はLA?”、“そうなります”と言う。
そうして、H・J君はパイオニアを退社して、LAに赴任した。お子さん3人と奥さんを連れての海外勤務であった。
H・J君は、既に英語はかなりマスターしており、Dクラスアンプ関係の開発スタッフとして、世界のトップ水準の仕事もできそうに感じた。
同時期、H・J君が中心となって、“トランジスタ技術”を書いていたDクラスアンプの設計関係の記事をまとめて、単行本にするという話があり、“Dクラスアンプの設計”という専門書になった。
私も、浅学ながら、その本の10ページほどをペンネームで書かせて貰った。
今でも、唯一のDクラスアンプ設計の専門書であり、初版発行以来、すでに4版を重ねたヒットになった(表紙の写真を掲載します)。
その後の、H・J君、いや、それ以後は、H・Jさんと言うべきで、H・Jさんの活躍は目覚ましく、IR社の開発設計チームのマネジャーを務め大活躍を続けている。
最近の活動は香港、シンセン地区への海外出張が多いと言う。
やはり、中国は元気が良い!
まだまだ、バリバリ働けるH・Jさんの活躍を祈り、期待している。
(H・Jさんからメールがあり、渡米10年で、4人のお子さんがおられると言う。最近はブラジルでIRのDクラスアンプIC等の製品戦略は大成功との内容であった。けれどもハードワークで、最近はハンダコテも握っていないと言う。)
オーディオVIPに会う
CTSでdbxの仕事がひと段落したころ、ハーマンジャパンから連絡があった。今後、シドニー・ハーマンが来日するから、会って欲しいと言うことであった。
銀座のホテルに出向き、ホテルのコーヒーラウンジで待っていたところ、本当に、彼は息子と娘を連れて出てきた。 ちょうど商務長官を辞めたところで、オーディオビジネスに復帰したところであると言う。
話を伺うと、日本でアンプをOEM生産したいと言う。非常に興味ある話であった。ハーマンとか、サイテーションブランドを使えるということであったが、このブランドの認知度はイマイチであった。 相手方も、私のほうのスケール、金融信用力に物足りなさを感じたようであった。結局この話はまとまらず、この話は関西のほうに財力のある会社が担当したようであった。
そのときの感想は、若い息子さんは頼りなく、娘さんは“やり手”だと感じた。それは当たっていて、シドニー・ハーマンの跡を継いで、娘さんがハーマンを動かしている。
レーザーターンテーブルに関係する
“アナログレコードを針で信号を読み取ることなく、非接触で、レコード溝から信号を読み取る!”と言うTELがサンスイOBのI・Mさんからあった。
I・Mさんは英語が堪能で、当時、dbxのライセンス関係の仕事をしており、秋葉原所在の(株)BSRに所属していた。
すでにCDが凄い勢いで普及していた頃(1988年頃)であったから、そのような画期的な技術にしても、ビジネスにできるかは疑問であったが、ともかく行ってみた。
発明者は若いエンジニアで、スタンフォード大学在学中から、そのアイディアを考えていたという、その研究開発成果を現実のものにすべく、卒業後、資金提供を受け、Finial Technology Incを設立して開発を継続し、多額の費用と7年の年月を経て、ワーキング・モデルを完成したという。
私が視聴したときは、すでに現在のようなかっこうをしていて、外装ケース、ターンテーブル等の金型を使った試作機であったから、完成度は高いと思った。
技術的な説明を聞くと、レコード溝からの情報を7本のレーザービームでピックアップすると言う。ターンテーブルはシンプルなDD方式で、特に特別なことは無かった。
大げさに言えば、そもそもアナログレコード再生は、基本的な問題点を抱えている。すなわち、カッティングマシンの切削針の形状は、音溝を掘るために、その先端はナイフのような形状である。再生するときは、丸針で再生すれば、カッティング針先とカートリッジ針先の形状の違いにより、ひずみ(トレーシングひずみ)を発生する。かつて、東芝EMIはこの問題解決法として、このようなひずみを打ち消す成分をカッティング時に信号に入れ込んでおくという方法(PTS方式と言っていた)を開発して、やってみたが、さしたる反響がなく、いつの間にかやめてしまった経緯があった。
カートリッジ側では、針形状を楕円、シバタ針、マイクロリッジ針など、いろいろな改善が図られたが、その改良は1980年当時で終結していた。
理論的に考えれば、音溝をカットされたままに、非接触でアナログ信号をピックアップすることは理想のかたちであった。
けれども、日本のオーディオ会社にいろいろアプローチしたが、関心を示す会社は無かった。
前置きはそれまでとして、ともかくレコードを聴いてみると、まず、レコード面の埃も一緒に信号としてピックアップするので、始めにレコード面をきれいに磨く必要があった。クリーニング後に聴いてみると、素直なサウンドであった。できればもっと迫力が欲しく、パワフルさが足りないように聴こえた。 それでも、試作機でここまでの再生ができるのだから、製品化は有望であると思った。
GEの民生品部門の副社長を務め、GEは不振でリストラし、フランスのトムソンに売却して、その後、(株)BSRの社長になったばかりの千葉さんは、特に、この技術に大変な情熱を持っているようであった。
私は、それはそれとして、はたして、本当にアナログレコードを聴けるのか?という基本的な事項を確認したかった。
私は、レーザーピックアップが、アナログレコードのDレンジに問題なく応答して、トレースしていけるかどうかは、疑問を持っていた。そこで、自分の家で聴かせて貰えないかと頼むと、OKと言ってくれた。
自宅に届いて、Dレンジに大きいレコードを掛けてみたが、何とか再生できた。
最後に、DECA(当時ロンドン)レコードのオペラ“オテロ”の冒頭の嵐の部分を再生してみた。フォルテシモ(fff)の強大な音量に、オルガンの超低域が嵐の効果音としてMIXされているところであった。
やはり、心配したように音が飛んでしまった!
また、レーザーピックアップした信号は逆RIAA信号になっているので、フォノイコライザー回路が必要であった。回路図を見せて貰うと、このあたりの電源回路、RIAAイコライザー回路には、あまり慣れていないようであった。
私なりに、試作機の上記部分に手を入れさせて貰った。それなりにサウンドは良くなったようであった。
それよりも、Dレンジに対応するレーザーピックアップ回路の改良が急務であった。
一方、(株)BSRは(株)CTIと社名を替え、さらに(株)エルプとなり、千葉さんは、dbxのライセンス関係を売却し、Finial社から、権利・技術を買い取り、レーザーターンテーブルの商品化に全力を傾けていく、という決意を語っていた。
その2年後、(株)エルプの主力製品としてレーザーターンテーブルは誕生した。
再び、“オテロ”のレコードを持参して視聴したが、今度は見事にトレースした。
レコード面をクリーニングする必要性は、アメリカNJ在住の友人F・Iさんに連絡を取ったところ、近くにVPIという小規模なレコードプレーヤーを作っている会社があり、そこでレコードクリーナーを作っており、日本では、クリーナーのほうが有名ということだった。そのクリーナーの話を千葉さんに話したところ、大いに乗り気で、サンプルを輸入してほしいとのことであった。そのクリーナーはインダクション・モーターでレコードを回転させ、レコード面に敷いたクリーニング液を吸い取っていくバキューム方式であった。
クリーニング効果は素晴らしく、レコード面はぴかぴかになった。弱点は、その騒音がひどかった。それでも、これは必需品であるから、F・Iさんを通して、VPIクリーナーは(株)エルプに納入され、レーザーターンテーブルを購入するユーザーさんに付属するかたちとなった。この関係はエソテリックがVPI輸入代理権を取得するまで続いた。
レーザーターンテーブルの価格は、1990年頃¥125万くらいで、高価と言われて、なかなか普及しなかった。レコードの摩耗を問題にする図書館等への納入は活発であったと聞く。その後、(株)エルプを訪問して、何回か視聴したが、トレースはまったく安定して、見事なサウンドであった。レーザーピックアップは浜松フォトニクスで作って貰っていて、製品の安定供給は問題ないようである。
つい最近(2012年11月)、連絡を取ってみた。いろいろ伺うと、レーザーターンテーブルの実売価格は何と¥100万を切るという。
近年、MCカートリッジに¥50万を平気で超えるようなモデルは結構あって、それらと比較して驚異的に安価と感じた。
NHKをはじめ、マスメディアに取れあげられる機会は少なくなかったが、どういうわけか、オーディオジャーナル、オーディオショップとの関係が薄く、その画期的な技術内容・パーフォーマンスは、もっともっと評価されて良いと思う。
このような製品は後世に残していくべき製品と思う。アナログレコードファンは、これだけ安くなったのであるから、高価なカートリッジを買うつもりでレーザーターンテーブルを購入すべきと思う。特に、レコードの消耗が激しいレコードジャズ喫茶等の営業用としても最適と思う。
アフターサービスも良くやってくれているし、レーザーターンテーブルそのものの回路技術も進歩を遂げている。
是非、オーディオマニアのみなさん、(株)エルプに出向いて、視聴して、そのサウンドを聴いてほしい!(株)エルプは、検索すればホームページもあるが、連絡先を示す。
以上、お読みくださってありがとうございます。次回は、オーディオメーカーの外注設計に携わるお話を予定しております。
ELP RASER TURN TABLE
※(株)エルプ様の掲載許可をいただいております。
本田 潤氏の著書
※著者の了解をいただいて掲載しております。
2012年12月10日掲載
第53回 新会社(株)CTSの生きる道をいろいろと探る |
第1弾 日本オーディオ史 |
第55回 委託設計業務に携わる |