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イシノラボ/マスターズ店長の連載

第1弾 日本オーディオ史

第59回 わたしのオーディオルーツ

最近、どうして私がオーディオに携わるようになったかことを考えて見たくなった。
やはり、人間、突然そうなることはなく、先祖からのDNA,家庭,家族,教育,友達等の影響下で存在しているからであろう。

私の先祖、DNAは?

時代は幕末に遡る。私の父方の先祖は、千葉県・久留里藩の御殿医をやっていたそうである。明治の廃藩置県で、先祖は職が無くなったそうである。そうした中で、祖父は明治15年に生まれ、成長して、都会に出ていって職を得ようとした。祖父は当時、最も洋風化していた横浜に出てきた。その横浜で、在留外人相手の音楽コンサートが開かれているのを見た。
そこには何やら、ピアノという大型の楽器があって、その楽器はメンテナンス(すなわち、調律)が必要なことを知った。祖父はそこで、一念発起、調律していた外人に教えを乞うて習得、何とかコンサートに使用するピアノを調律する仕事にありついた。外人がやっていた仕事であったから、けっこうな収入があったらしい。
(注)ヤマハは1900年(明治33年)、浜松にてピアノ製造をスタートしている。カワイは1928年(昭和3年)、グランドピアノを完成させている。

残念なことに、祖父は当時、不治の病とされて肺結核に罹り、祖母と父を残して、41歳の若さで大正12年に亡くなってしまった。

父は祖母方の実家で育てられることになった。ちょうどそのとき、9月1日、横浜から千葉県山武郡に向かう東京駅で、関東大震災に遭遇した。一晩中、火災から逃げ回り、焼け死んだ人々を見ながら、両国から千葉県山武郡まで歩いてたどり着いたそうである。首根っこを引きずられるような激しい地震であったという。

父母の影響

父は、祖父が亡くなったため、本人はエンジニアになりたかったそうであるが、旧制中学を卒業して国鉄に入社した。 結果として、私は線路そばの国鉄宿舎で生まれ育ったので、“テッチャン”になってしまった。そうそう、名ミクサー、行方洋一さんは、高校時代、実家の土浦から上野まで常磐線で通っていたという。当時はC60,61のSLが走っていたので、行方さんはSLファンになったと言う。そのこともあって、行方さんとは鉄道の話で盛り上がった。

父は、祖父のDNAの影響のせいか、音楽が好きであったが、経済的にピアノを習うことはできず、仕方なくハーモニカを吹いていた。ベースコードを付けた奏法で私も聴かされたが、かなりうまかった。母も音楽好きで、オルガンを弾いていた。

家には、祖父の形見のバイオリン(イタリア製)2丁、マンドリンがあった。また、蓄音機も小型,大型と2台あって、クラシック,アメリカンポップスのSPレコードがけっこうあった。戦時中、レコードを掛けることはしなかったそうであるが、アメリカンポップスレコードを捨てることはなかった。
父は肺が悪く、幸い兵役徴収されることはなかった。対米戦争には否定的であったという。(当時、少しでも、そのようなことを言うものなら、密告されて、憲兵隊から痛い目に逢うのは本当であった。)

戦後は、父はラジオ作りに関心を持ち、いち早く高一ラジオを五級スーパーラジオに改造した。また、当時は電力事情が悪く、電源電圧は70Vくらいであったから、父はラジオ屋と仲良くなって、昇圧トランスをラジオ屋と一緒に作った。コアがないので、ブリキ板に絶縁ニスを塗って、それを重ねてトランス鉄心にして、昇圧トランスに仕上げたのを私は観ている。従って、我が家のラジオは100Vで動作して、千葉の夷隅郡でも良く聴こえた。ラジオ用真空管もごろごろ転がっていた。

わたしは!

わたしは幼稚園に通うことになった。その幼稚園はキリスト教会系であったから、讃美歌を良く歌わされた。たまたま、私は独唱を指名されて歌ったら、その幼稚園の先生に褒められた。それで自分の声に少し自信を持った。小学生に上がってからも、音楽の時間は楽しくて仕方がなかった。歌は才能であって、決して努力してもうまくならないということは本当であった。軽く息を出せば、自分でもほれぼれとする歌声が出たのであった。それは小学6年生までであった。段々とあの美しいボーイソプラノは出なくなった。
また、いくら大きな声を出そうとしても息苦しくなるだけであった。男になった副作用は、歌声に関しては残酷であった。

それではピアノを習おうとしたが、すぐバイエルで挫折した。
一方、音楽を聴くのはどんどん好きになり、小学生で“ライムライト(チャップリン)”のレコードが欲しくなり、ビクターヤング楽団のレコードを初めて買って貰って、擦り切れるほど聴いた。

また、ラジオ番組のビッグフォア“ジャズ”を熱心に聴いていた。また、高校の音楽の時間、LPでクラシックを聴かされて衝撃を受けた。
と同時に、音楽だけでなく、どうしたら良い音で聴けるのだろう!と、関心を深めた。高校2年の時には、東京・秋葉原に父と出かけて、パイオニアのレシーバーアンプ,スピーカ,KSのプレーヤを買って貰い、それからがオーディオにさらに興味を持つようになってきた。そうして高校時代は過ぎていった。

また、悪いことに近所に高校の同級生(今でも付き合いがある)がいて、彼はYL音響に傾倒し、中域用のホーンをブリキ板で作ってしまった。ウーファはコーラルの38cm YL555、ツイータはYL SH−18の3WAY構成、アンプは6GB8(3結)ppであった。これにしびれて、自分も何とかしようともがいていた。

幸い、進学した大学は電気系であったから、オーディオ・エレクトロニクスを勉強できた。それから私も3WAYスピーカーシステムを作り、アンプは真空管アンプを自作した。それが高じて、段々、発表したくなってきた。当時のMJに投稿したら、自作記事を書いてほしいと言われ、浅学も顧みずせっせと自作記事を書いた。その原稿料で、発振器,オシロスコープ,バルボルをさらに整備した。また、TRKの339テープデッキを、せっせと貯金して21歳のとき手に入れた。録音再生用アンプは自作した。当時から、2トラサンパチを楽しんでいた。

ちょうどその頃、大学の図書館で、オーディオがどうこうと熱心に話している学生がいた。人見知りしない私がそこに入り込むと、その彼はさらにオーディオの話に乗ってきた。その彼がWestRiverアンプの主宰者、“川西哲夫”さんであったのだ!

すぐに仲良くなり、私は川西さん宅に泊まり込んでは、徹夜で、ベートーベンの交響曲9曲全部を聴き通したり、ムラビンスキー/レニングラードフィル、若き日のマゼール/ベルリンドイツオペラ管弦楽団のコンサートなど、若さに任せて、オーディオや音楽を楽しんでいた。
これらの資金はアルバイトでまかなったのは言うまでもない。
そして、大学卒業後もずっと、川西さんとの友情,連携は今でも続いている。

一方、私はボーイソプラノ時の美声が忘れられず、同じクラスのE・Tさんに誘われて、大学のグリークラブに入部した。私はセカンドテナーとなった。グリークラブ内では私の声で通用したが、子供時のような大きな声量は出なかった。けれども、グリークラブで、ミサ曲,バッハカンタータ,日本合唱曲等を体験して、ハーモニーの重要性を感じた。また、ライブでもコーラスでは混変調ひずみ現象が発生すること等を体験できた。

グリークラブの夏季練習はものすごく、合宿では8時間/日も声を出して、のどがひりひりする目にもあった。

そうして大学生活は終わり、実習先でお世話になったトランスのタムラ製作所に就職した。

タムラでは、タムラ宣伝部のHさんと仲良くなり、“タムラのトランスをもっと広報するためには、自作記事をオーディオクラフト誌に掲載すべき”と口説いたら、乗ってくれて、Hさんのおかげで、会社は、当時、最新の混変調ひずみ率計やひずみ率計を揃えてくれた。(当時の田村逸也社長に今でも大感謝!)

また、シャーシは、機構設計の若手Mさんが暇を見つけて設計してくれた。タムラトランス,シャーシ,部品代、すべて会社が負担してくれた。おまけに原稿料は私が受け取って良いと言ってくれた。この自作記事は、MJ誌の特集単行本“3極管アンプの製作”に掲載され、幸い、版を重ねて売れて私の面目も少しは保てた。(写真参照)

それからの私のオーディオ足跡は、日本オーディオ史第1話につながっている。

今回は、私の“オーディオことはじめ”でした。お粗末でした!
お読みくださりありがとうございます。


MJ誌の特集単行本“3極管アンプの製作”(1/2)
MJ誌の特集単行本“3極管アンプの製作”(1/2)

MJ誌の特集単行本“3極管アンプの製作”(2/2)
MJ誌の特集単行本“3極管アンプの製作”(2/2)


2014年1月5日掲載


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